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サンドウィッチマンの東北魂2014.9.14 線維筋痛症で自殺を準備したときに起きた東日本大震災|行政書士阿部総合事務所

September 23, 2014
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約 6 分

 

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ライブでは聴くことができないのでいつもPodcastで聴いています。

実家と同じ宮城県出身ということもあって、前からサンドウィッチマンのファン。

東日本大震災によって自分が変わった女性がゲストに登場。

以下、放送の聞き取り。

 

某教育機関に務める女性のかた。

2011年3月に自殺を考え身辺整理をしていたところに東日本大震災が起きた。

自分の病気どころではなない、被災者にできる事はないかと思った。

せめて税金を収められる人間でいようと。

ナゼ自殺をしようと思ったか?

彼女が患っているのは線維筋痛症

原因も特定されておらず、治療法もわかっていない。

全身が痛みに襲われる。

発病したときに今身体の中で痛くないところはどこかと思った所、髪の毛と爪の先だけ。

痛みのレベルは、ペンチを持ってグイッとやったのと同じだという。

大丈夫って聞かれても、大丈夫な時がない。

背中が痛いので、同じ姿勢でいることができず、痛みで目が覚めてしまう。

食事についても、一時期口内炎が10個ぐらいできていたこともあった。

いまは、三ヶ月ぐらい固形物を食べていない。離乳食のような感じのものを食べている。

今食べたいのは、攻撃的なもの。

カレーとか、わさびの強いものとか。

食べたいというよりも、友達との食事に参加できないのが残念。

 

病名がついたのは今から5年前。

発病したのは2007年。

最初は微熱が止まらず、二ヶ月ぐらい熱が下がらない。

秋だったのに身体が暑い。

それまでは身体に異常がなく、出張の多い仕事でアメリカの西海岸から東海岸まで飛び回るような仕事をしていた。

病名がつくまでにいくつもの検査をして、やっと病名がついた。

 

日本には200万人ぐらいいる。

といって、アメリカの数字を日本の人口と照らしあわせて出した数字。

実数はわかっていない。

 

髪の毛と爪以外の部分が全部痛くて、例えば高熱の時の節々の痛みが365日続くと思ったらどうだろう。

酸素を吸っててすいません。二酸化炭素をこんなに吐き出してしてすいません、と思った。

自分は何の役にもたっていない。

医療費も使っているし、税金泥棒と呼ばれても仕方ない人間。

自分は生産してきたはずの人間なのに、消費するだけの人間になってしまった。

当時は、痛みに追い詰められて悪い方わるいほうへと考えた。

 

当時は、エンディングノートも買ってはみたが、発病してからは文字が書けない。

パソコンで必要なことは入力していた。

この病気は治ることがないと言われている。

が、治らないというのは言い過ぎで寛解はある。

同じ病気の人たちは寛解を目指している。

 

そんな状況のときに起きたのが東日本大震災。

当時は川崎のカフェにいて、阪神淡路大震災の記憶があったので早く動かなければと思って、急いで川崎駅へ。

電車はすでに止まっていて、すぐにバスに。

乗ったバスはその日に川崎駅を順調に出発した最終便のバス。

 

考え方が変わったのはなぜか。

いきなり切り替わった訳ではない。

寝たきりだったときに全然役に立たない人間だと思っていた。

その時に思ったのは、いま不足しているものがあったら届けることはできるだろう。

何が出来るかと思っていたとき、たまたま友人のNPOが化粧品を被災地に送る動きをしていた。

家にある化粧品の全てをもって届けた。

 

本当にこれしかできる事はないのかと思った。

一つは住居の問題。

短期間ホームステイのマッチングをしている人がいた。

その宣伝をしようと思った。

とにかく寝れない状態はつらい、精神的にまいること。

 

もう一つは、働くということ。

働くということは、人だったり社会に働きかけることが働くということ、だと思っている。

もともと働くの語源は、はたのひとを楽にする。

自分は、働くことを通して自分の存在価値を感じてきた。

だから、そういった機会を作ることができないかと考えた。

 

具体的なプランに落としこむまでにすごく時間のかかることだと思った。

それの準備をしていこうと思った。

 

それから期間があき、そういった思いも薄らいでいたとき。

たまたま観たTBSテレビでサンドウィッチマンの活動を知った。

すぐにサンドウィッチマン宛にメールをした。

サンドウィッチマンという人たちがいて、ネタだったり、話だったりを聞いているうちに、当時のことを思い返した。

川崎に取り残されていたら、自分自身の身体がどうなっていたかわからない。

その番組を観た時にすごく心が揺れた。

その時のことを思い出したし、サンドウィッチマンのことが好きになった。

こういう人がいれば震災は風化されないと思った。

 

 

サンドウィッチマン冨澤さん。

うれしいですね。

それは。すごく。

そのために、僕ら正直やっていますからね。

震災以降は特に。

いや、いろいろ言われましたからね。芸人なのに震災がどうのとか、震災のことはあまりやりすぎるのは良くないんじゃないかと。

いろんな人に言われました。

いやでもね、そういう次元の問題でもないんですよね。

自分らの地元でもあったし。

サンドウィッチマン、テレビに出ていると元気が出るよって言われる。

そういう意味は常にもってやっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

About The Author

行政書士行政書士阿部隆昭
創業支援と資金調達に強い東京都北区赤羽の行政書士阿部隆昭。
事業計画書作成支援、創業融資申請サポート、補助金助成金申請、契約書作成、ビザ申請など、中小企業支援業務をメインに業務を行なっています。
業務経験20年の知見をフル活用し、クライアント様の事業運営をサポートします。