聞けば、盧溝橋事件ごろの日本の工場内のワンショットとのこと。
ご支援先の高齢者宅へ定期訪問した際に、話が弾み、当時の写真を見せて頂きました。
部品製造工場を営んでいたその方のお父様が経営されていたそうです。
焼け出された際に、2枚だけ持ち出した貴重な写真のうちの一枚。
あと数年経てば三桁台。
それはそれで、私には想像できない悩みがあり、お伺いするたびにそれを吐露されるのですが、何もできずにただ聴くだけ。
教科書に載っている史実の現場を聞かせていただく機会も、残りそう何度もあるわけではなさそうです。
寂しいですが、仕方のない時間の流れですね。
行政書士阿部隆昭