結局のところ、運
奇跡的に認知が入っていない支援者さんと関わって4年目かな。
頭脳明晰、過去の栄光話になることはまずない。
病気関連で数々の修羅場をくぐり抜けてきただけに、その話は毎回する。
結局のところ、病気が良くなるも悪くなるも運だという話になった。
長年持病で処理されてきた疾患が、たまたま意欲ある若手医師が担当になったおかげで、20年来の慢性疾患から解放されることとなる。
いや、そもそも、最初の脳梗塞のときに、たまたま病院で倒れたのも、運。
生涯、独り暮らしの方なので、自宅で倒れたら「完全にアウトだったろう」。
街の個人病院に別の疾患でかかっていたところ、そこで倒れたので地域の専門病院に、「医師が」手配をしてくれたという強運。
自分自身、最近、首の後ろが極端に重いというか、固まることがあって、脳梗塞の”先輩”に尋ねたところからそんな話になった。
病気にならない人は、いないと思うけれども、ほぼ100年生きてきたリビングレジェンドからすれば、それは全て「運」
なのだけれども、それは全くのラッキーチャンス的なものではないらしい。
それ相応の運を、相応に呼び込むためには、それなりのプロセスが必要で。
ということを聞かされてきた。
僕の母親は、今の彼よりも40年も早く他界したのだけれど、運、という話には納得する。
クソ医者のいうことなんて聞かずに、セカンドオピニオンなりなんなり行けばよかったのに、放置して気付いたときにはステージⅣで手遅れでとか、バカすぎる。
とは子どもの頃に思ったけれども、そこはそれ、近所のよしみ、といった謎の大人の事情があり、その大人の事情を自分の身体より優先して、そしてある期待を持ってしまったっというのも全て彼女の、「運」
生き長らえているかは、やはり運だね。