その資格に頼った生き方をしないようになる。
これが最大のメリット。
資格試験合格に夢中になっている時分は、そもそもその資格がないと自分は生きていけないぐらい思っているのが普通。
ほんとは全くそんなことないのにね。
資格試験不合格組は二つのパターンに分かれる。
”資格試験クズれ”と裏で揶揄されて生きる。
資格試験の経験を昇華して受験していたことさえ忘れて生きる。
私は司法書士試験合格を目指して勉強していたが、結局のところ司法書士試験は不合格に終わった。
途中、行政書士試験を受け、合格、そして司法書士事務所を退職し開業、というパターンだ。
司法書士試験クズれにならずになんとか後者のパターンで生きている。
業界経験が長いので、司法書士資格に限らず、いわゆる難関資格と言われている資格のクズれの人々をたくさん見てきた。
その所作も。
本来、業として行なってはいけない業務に踏み込むのも、実は、”昇華”が出来ていない事に根本的な原因がある。
資格試験合格を目指したことがない方にはさっぱり分からない話だと思うけれども、そうでない方にとっては分かる分かる、と感じてくれると思う。
にしても、最終合格しなくてよかったなあと私は思っていて。
ここからは私限定の話なので参考になる方もいればそんなことないだろうと思う方もいるはず。
まあ、そうなのか、ぐらいに思ってくれればいい。
司法書士に合格していたら。
そりゃ、金と時間を突っ込んでやっと合格した資格なのだから、それを活かそうと必死になるだろう。
でもそもそもその資格がないのだから、そこに拘泥することがない。
ということで別の生き方を探すことになる。
ここで初めて考えることになるんですよね。
今までは、資格さえ取れれば目の前がパッと開けて人生じゃんじゃんか上手く行く、って思っていますから。
そんなことは絶対にないんですけどね。
「流石にそれは負け惜しみだろう笑」と思われる方もいるかもしれないなあ。
仮にそう言われても、何も感じないのは、少しも負けていないから笑
考える、ということをせずに、いや、資格試験”チャレンジ”をし続けることで、この考えることを意識的に止めている人と接してきた。
最難関とされた旧司法試験に早々の見切りをつけ、別の道に進んで納得感のある人生を歩いている者もいる。
司法試験クズれ、とならずに”昇華”ができたパターンだ。
昨日。
ある経営者様と長時間に渡って会談をしてきた。
仕事に関すること、と言いいますか、生きるうえでの仕事とは?、ということ。
通常では経験できない場に長らく居続け、今は別の意味の最前線にいる僕の中でのリビングレジェンド。
そういえば、このときにも「考える」という話題になった。
考える、ことはとても大切。
僕の場合には、資格試験不合格のときに先ず最初に考えた。
さて、どうやって生きていこう。
考えてみると、そんな資格なくても生きていく手段はおよそ無限にあることに気がついた。
そもそも、資格を取得することの意味さえ考えずに受験をし続けたことにも初めて気がついた。
目指していた資格試験に不合格となったときに考えることはとても大切。
機会、だからね。