時間、行動の自由が効くようになった開業以来、いつもこれを意識して行動してきた。
”ノータイムで手を伸ばせ”
「この仕事できますか?」、「誰かこの内容で分かる人いますか?」、「誰か出来ますか?」
仕事をしていると、このような声をしょっちゅう聞くことになる。
聞こえていない人は、まだまだ”アンテナ”が研ぎ澄まされていないのかもしれないし、そもそもアンテナが備わっていないのかもしれない。
このときに、いつも、自分出来ます!、自分分かります!とその仕事に”ノータイムで手を伸ば”すようにしてきた。
もちろん経験がないことも。
未経験者が経験者になる方法は、どんなときでもたった一つ。
一度やること。
たったこれだけで、未経験者は経験者のステージの登ることが出来る。
素晴らしい。
たったこれだけの事が世の中では難しいこととされ、いつまで”未経験者”枠に留まって安住することも出来るらしい。
安住と停滞は紙一重。
私たちは常にそこに気を配らなければならない。
未知のことに遭遇したときに、そこに突っ込んでいくチカラだけで開業以来進んできた。
”やればなんとかなるさ”
と思ったことは一度も無くて。
機会、チャンスさえあれば、それは出来ると思っているーほんとはそれさえも意識していないーので、当然、ノータイムで手を伸ばす選択肢しかない。
”失敗しても経験になる、だから行動しよう”
よく言われることだけれども、これも違う。
そもそも失敗がない。
モノゴトの捉え方、といったものでも無く、そもそもノータイムで手を伸ばしことには失敗がないのだ。
ノータイムで手を上げる、これでは弱い。
小学校のときによくある風景。
「分かる人、手を上げて?!」と先生に言われ、周囲の様子を伺い、全力で手を伸ばしている生徒を確認してなんとなく手を上げる。
指されないけど、上げている。
もしも自信がある答えなら、指されにいくために全力で上に手を伸ばすことになる。
そう、それなんだよ!
大切なのは。
これがオトナになると圧倒的に出来なくなる。
”失敗したら恥ずかしいから”、それが理由だ。
さっきも書いたけれども、”ノータイムで手を伸ばす”行為には失敗がない。
なぜか?
失敗か、成功かは自分だけが決めることだから。
内在している。
ノータイムで手を伸ばすコトに失敗がないと、自分が、決めれば、もうそこには失敗が存在しない。
観念的な寓話でもなく、事実。
世の中は、新型コロナウイルス禍。
緊急事態宣言、外出自粛、テレワーク推奨、など、行動変容が求められている。
これまでの習慣を変える必要がある。
4月7日に緊急事態宣言が発出され、一応の目安とされた5月6日までの一ヶ月間。
突然のこの一ヶ月間を後から思い返したとき、
”あ、この一ヶ月間があったよかったんだ”と思えるような過ごし方をしたいと考えた。
自宅でのトレーニングを始めたとき、素晴らしい言葉に出会った。
If you change your body ,you also change
身体が変われば、自分もまた変わる。
トレーニングだけの言葉ではなく、全てに共通するメソッドが詰まっていると知り、感動した。
身体が変わる。
当然だけれども、変わるためにはそれ相応の事を続けなければならない。
一瞬で身体が変わるわけはないからだ。
続ける、これがまた大切だ。
三日坊主、リバウンド、これらは、やり”続ける”ことが出来ない場合に起こる現象。
やる、という行動は大切だ。
”ノータイムで手を伸ばす”というアクションが大切なのだけれど、それを続けるのはもっともっと大切だし、
続けることはすなわちノータイムで伸ばして摑んだその手の中身を大切にすることでもある。
身体が変われば、自分が変わる。
この変わったという事実を感覚として認識するのは、身体の変化がもっとも身近で分かりやすい。
一日になんども自分の身体を触ったり、鏡でみたり、洋服を着替えるときに感じたり、人の変化の中でも身体の変化にはもっとも私たちは敏感だ。
やる、を、やり続ける、には変化を実感することが欠かせない。
やった結果、良かったなあと実感できる。
だからもっともっと続けよう。
ものすごくシンプル。
トレーニングの世界だけではなく、仕事の世界でも全く同じ。
ノータイムで手を伸ばしたことにより、未経験から経験者にステージが上がった。
対外的にも当然”経験者です”と言える。
間違っていない。
そして、経験者として自分の中で変化を実感することで、自分が変わる。
身体が変われば自分そのものが変わるように。
やる、ことは大切、やり続けることはもっともっと大切。
ノータイムで手を伸ばせ!
そして、
If you change your body , you also change
変容した行動は完全には元には戻らない。
この機会にこそ、これらが価値を持ってくるのだ。
行政書士阿部隆昭