― 創業塾の最終回と山岡家のネギから ―
先日、「創業塾」の第五回、最終回が無事に終了しました。
今回も多くの受講生が真剣にプレゼンをし、過去最高の盛り上がりを見せた回となりました。講師としてこれまで積み上げてきたものを渡しきれたという満足感、そして講義後に受講生と語り合った時間は、私自身にとっても大きな財産になりました。
その帰り道、立ち寄ったのが「ラーメン山岡家」。
お腹も空いたし、しかし夜10時過ぎなのでそもそも食べる場所もそんなにない。

選んだのは一番シンプルな醤油ラーメン。私は普段ラーメンを食べる習慣がないのですが、この日はなぜか自然に足が向きました。
そして、その一杯は、ただの食事では終わらず、想像もしていなかった気づきへとつながったのです。
「美味しい」の次に来た感情
一口目は、ただ純粋に「美味しい!」。
その後に感じたのは、ネギの食感でした。
ザクザクとした歯ごたえ。ネギというと、シャキシャキになるのかと思うのですが、感じたのはザクザク。
形を見た瞬間、「あ、これは手で切ってるな」と直感しました。包丁で切った形とスライサー?機械で揃えた形の違いくらいは何となくわかります。
その気づきと同時に、なぜか心の奥から「ありがとう」という感情が込み上げてきました。農家さんへの感謝でもなく、調理したスタッフへの感謝でもなく、もっと深い感覚。
それは、この一杯に至るまでの自分自身の「これまでの道程」すべてに対しての感謝でした。
山岡家の理念と「道程」の重なり
後から調べてわかったのですが、山岡家はネギにとても強いこだわりを持っています。


自社農場で育て、収穫したネギは店舗ですぐに使う。しかも切るのは機械ではなく、一本一本包丁で。
効率だけを求めれば機械で切ればいいはずです。けれど、味・香り・歯応えを極限まで引き出すために、あえて手間をかけている。そこに「譲れない理念」が宿っていると私は勝手に解釈しました。
私があの瞬間に感じた「ありがとう」は、きっとこの理念と共鳴したのだと思います。
つまり、「結果としての一杯」ではなく、「そこに至るまでの道程」を無意識に受け取ったのです。
創業塾最終回と同じ構造
思えば、創業塾の最終回もまさにそうでした。
壇上で発表する受講生のプレゼンは、数分間の言葉やスライドに過ぎません。
けれどそこには、準備に費やした時間や葛藤、何度もやり直した痕跡が詰まっている。
私が講師として感動したのは、プレゼンの完成度だけではなく、その背後にある「受講生一人ひとりの道程」でした。
山岡家のネギを通じて感じた「美味しい→ありがとう→道程への感謝」という流れは、創業塾そのものと重なっていたのです。
一杯から広がる「総ざらいの感謝」
この一杯を食べながら、私は自分のこれまでを総ざらいするように思い返していました。
行政書士として歩んだ道のり。
外国人支援、創業支援、終活や後見…。
数えきれない相談、書類、支援。
そこに積み重ねたものがあるから、今こうして創業塾の壇上に立ち、受講生と出会い、香緒里とラーメンを食べている。
一見ただの「食事」が、こうした全体をつなぎ合わせ、「これまでのすべてにありがとう」と思わせてくれる。これを私は「総ざらいの感謝」と呼びたい。
事業も同じ
創業を志す人たちに伝えたいのは、まさにこのことです。
結果や表面的な評価はもちろん大事ですが、それだけではなく「そこに至るまでの道程」が必ず価値になる。
- 挑戦して失敗したこと
- 誰も見ていない中で積み上げた努力
- 細かすぎると思われるこだわり
それらは、確かに未来のどこかで「ありがとう」に変わります。
山岡家のネギがそうであるように、事業の細部への誠実なこだわりは、必ず誰かの心に届く。
創業塾の受講生の挑戦がそうであるように、努力の道程は必ず未来を形づくる。
行政書士阿部隆昭