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駅構内の勧誘禁止!鉄道営業法35条を調べていたらパブリックフォーラム論にたどりつき。|行政書士阿部総合事務所

 

まあ、だいたい駅の構内で販売したり勧誘したりっていうのは何となく分かりますよね。

その根拠って、鉄道営業法っていう法律があって、35条に規定されているんだって思って写メだけ撮っておいたですね。

で、鉄道営業法ってどんなのって調べてみました。

 

鉄道営業法
(明治三十三年三月十六日法律第六十五号)

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M33/M33HO065.html

古い法律ですね。

そして、問題の35条ですが、こんな規定ぶりです。

第三十五条  鉄道係員ノ許諾ヲ受ケスシテ車内、停車場其ノ他鉄道地内ニ於テ旅客又ハ公衆ニ対シ寄附ヲ請ヒ、物品ノ購買ヲ求メ、物品ヲ配付シ其ノ他演説勧誘等ノ所為ヲ為シタル者ハ科料ニ処ス

車内・停車場っていうのはハッキリまずいですよね。

錦糸町の駅の改札内で舟和の芋ようかんが売っていたりするのは、あればちゃんと駅長の許可を得ているわけでして。

 

で、気になるのは、「その他の鉄道地内」というのは、どのエリア?

画像では、「鉄道用地内」と書いてありますが、条文上は、「鉄道地内」ですね。「用」がない。

 

鉄道地内って何なの?

ありますね。検索すると。

S59.12.18 第三小法廷・判決 昭和59(あ)206 鉄道営業法違反、建造物侵入

あったよね~、ってここで気付くぐらいならもっと早く気付けッて思いますが。

 

伊藤裁判官のパブリックフォーラムか!!

そうだそうだ。

なお、鉄道営業法三五条にいう「鉄道地」とは、鉄道の営業主体が所有又は管理する用地・地域のうち、直接鉄道運送業務に使用されるもの及びこれと密接不可分の利用関係にあるものをいい、刑法一三〇条にいう「人ノ看守スル建造物」とは、人が事実上管理・支配する建造物をいうと解すべき。

井の頭線吉祥寺駅南口一階階段付近は、構造上同駅駅舎の一部で、井の頭線又は国鉄中央線の電車を利用する乗降客のための通路として使用されており、また、同駅の財産管理権を有する同駅駅長がその管理権の作用として、同駅構内への出入りを制限し若しくは禁止する権限を行使しているのであつて、現に同駅南口一階階段下の支柱二本には「駅長の許可なく駅用地内にて物品の販売、配布、宣伝、演説等の行為を目的として立入る事を禁止致します京王帝都吉祥寺駅長」などと記載した掲示板三枚が取り付けられているうえ、同駅南口一階の同駅敷地部分とこれに接する公道との境界付近に設置されたシヤツターは同駅業務の終了後閉鎖されるというのであるから、同駅南口一階階段付近が鉄道営業法三五条にいう「鉄道地」にあたるとともに、刑法一三〇条にいう「人ノ看守スル建造物」にあたることは明らか

 

吉祥寺駅の構造も、当時とどう変わっているかも知りませんが、まあ、明らかに駅長の管理権が及ぶエリアだったんでしょう。

そこで、「同駅係員の許諾を受けないで乗降客らに対しビラ多数枚を配布して演説等を繰り返したうえ、同駅の管理者からの退去要求を無視して約二〇分間にわたり同駅構内に滞留した」という事案なんですよね。

 

パブリックフォーラム論というのは、憲法のテキストには必ず掲載されている考え方で、例えば手元にある伊藤真先生のテキスト(試験対策講座「憲法」第三版)ではこうなっています。

~集会の自由等に関しては、パブリックフォーラム論が唱えられることがある。

パブリックフォーラム論とは、表現活動のために公共の場所を利用する権利は、場合によっては、その場所における他の利用を妨げることになっても保証されるとする理論をいい、アメリカ合衆国の判例理論で形成されたものです。

ビラ配布の規制が問題となった駅構内ビリ配り事件において、伊藤裁判官の補足意見は、道路、公園、広場など、一般公衆が自由に出入りできる場所をパブリックフォーラムと呼び、「このパブリックフォーラムが表現の場所として用いられるときには、所有権や本来の目的のための管理権に基づく制約を受けざるを得ないとしても、その機能にかんがみ、表現の自由の保障を可能な限り配慮する必要があると考えられる。

 

テキストで触れられているのは、ここまで。

 

この先を補足意見でもみてみる。

 

パブリックフォーラムでは特別な配慮が必要なんじゃない。

どうしてかっていうとね。

 

一般公衆が自由に出入りすることのできる場所においてビラを配布することによつて自己の主張や意見を他人に伝達することは、表現の自由の行使のための手段の一つとして決して軽視することのできない意味をもつている。特に、社会における少数者のもつ意見は、マス・メデイアなどを通じてそれが受け手に広く知られるのを期待することは必ずしも容易ではなく、それを他人に伝える最も簡便で有効な手段の一つが、ビラ配布であるといつてよい。いかに情報伝達の方法が発達しても、ビラ配布という手段のもつ意義は否定しえないのである。この手段を規制することが、ある意見にとつて社会に伝達される機会を実質上奪う結果になることも少なくない。

ビラ配布が言論出版という純粋の表現形態でなく、一定の行動を伴うものであるだけに、他の利益との較量の必要性は高いといえる。

ある主張や意見を社会に伝達する自由を保障する場合に、その表現の場を確保することが重要な意味をもつている。特に表現の自由の行使が行動を伴うときには表現のための物理的な場所が必要となつてくる。

この場所が提供されないときには、多くの意見は受け手に伝達することができないといつてもよい。一般公衆が自由に出入りできる場所は、それぞれその本来の利用目的を備えているが、それは同時に、表現のための場として役立つことが少なくない。道路、公園、広場などは、その例である。これを「パブリツク・フオーラム」と呼ぶことができよう。このパブリツク・フオーラムが表現の場所として用いられるときには、所有権や、本来の利用目的のための管理権に基づく制約を受けざるをえないとしても、その機能にかんがみ、表現の自由の保障を可能な限り配慮する必要があると考えられる。道路における集団行進についての道路交通法による規制について、警察署長は、集団行進が行われることにより一般交通の用に供せられるべき道路の機能を著しく害するものと認められ、また、条件を付することによつてもかかる事態の発生を阻止することができないと予測される場合に限つて、許可を拒むことができるとされるのも(最高裁昭和五六年(あ)第五六一号同五七年一一月一六日第三小法廷判決・刑集三六巻一一号九〇八頁参照)、道路のもつパブリツク・フオーラムたる性質を重視するものと考えられる。

 

つまり。

少数者の意見はマスメディアはとりあげない。

そんなときに、ビラ配りは表現の行使として大切な手段になっている。

性質上、行動を伴うビラ配りにおいては、人の多い場所ほど効果がある。

人の多い場所はその他もろもろのことも、もちろん考えないといけないんだけど、少数意見の主張の場として可能な限り配慮する必要があるのではないか。

 

という感じになると思います。

分かりやすく言うとですね。

 

これって、別に、憲法を学習している方じゃなくても、サラリーマンの方だったら通勤時間帯にビラ配りに遭遇しますよね。

 

配られているビラって、もらわないこと多くないですか。

なんとなく怪しかったりするからでしょうか。

政治的なニオイがありありとだったり。

 

でも、そこに共通しているのって、少数者の意見であることは間違いないですよ、たぶん。

 

労働問題を取り上げる労組系のビラだったり、

公の不正を追求するオンブズマン団体のビラであったり。

 

それって、テレビ付けたら映るわけじゃないですよね?

日経に。

載っていないですよね?少数意見過ぎて。

 

だから、まあ、表現の場がない、っていうの。

そこまでは、分かりますよね。

 

そういった社会のシステムを肌で感じている方には、伊藤 正己裁判官のパブリックフォーラム論はスッーっと理解できるんじゃないでしょうか。

 

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