私の両親の実家は東北地方のある田舎にありまして。
山深いというか、あと三キロぐらい奥に進むと道が途絶えるというぐらいの山深さ。
街灯なんてもちろんないし、トイレは家の外、しかも牛小屋の隣にあるもんだから怖くて行けない。
牛って夜寝ないんじゃないのっていうぐらい、急いでトイレ行って帰ってくる間にも、モーっていうからホントコワイんですよね。
その代わり、星空はキレイ。満点の星空、なんていうけど正にそれ。
小学生の頃は、星座の早見表を持って空と重ね合わせたのはいい思い出。
私の母親の実家から歩いて、そうだな20歩ぐらいのところにもう一軒の家がありまして。
実家と比べるのと半分ぐらいの広さ。
そこに、別家のばあちゃんが一人で暮らしていて。
とても優しいお婆ちゃまで、「たかあき、よく来たな、うん」と言って「くるみゆべし」を出してくれるのですが、当時のぼくはくるみゆべしなんて少しも美味しいとは思わなくって。
何年か帰省が続いた頃かな、気づいたんですよね。
別家に行くときは、私一人で。
実家の人は、決して別家に行かない。
もう、ホントに近いんですよ、距離的には。
改札と券売機ぐらいですよ、大きな駅の。
なのに、行かない。
”一人暮らししてんだからさ、しょっちゅう言って話してあげればいいのに”
と思って、死んだ母親に聴いたところ、
「別家にはあんまり行くな」と。
へっ?!って思って理由を聴いたのですが、全く教えてくれなくて。
でも、これは触れちゃいけないオトナの事情があるんだと思って、その後も一人で遊びに行ってたっけ。
この仕事を始めて、戸籍を読むようになって分かったのですが、別家って私たちが言っていたのは、旧民法でいう「分家」の事だったんですね。
分家というのは、ある家族があったとして、その家を離脱して新しい家を設立すること(旧民法743)
で、分家が起きると、新たに戸籍が作られる。
分家の他にも、「同家」(どうけ)と「他家」(たけ)っていう分け方もあるんですよね。
同家っていうのは、同じ本家から出た分家同士を、元は同じ家だよね、という意味で同家って呼ぶ。
戸籍って読み始めるとホントにいろいろあって面白い。
一つ分かるのは、誰にでも親が必ず二人存在して、その親もさらに二人づつから作られて、という関係が連綿と続いているんだということ。
そのどれかが欠けても、今のぼくがここに存在しない。
といっているぼくもあと数十年、もしかしたら十数年、いや明日明後日一年後だって十分に可能性はある。
ぼくの中学生の友達は荒川に鯉を釣りに行って死んだし、スポーツ万能でいつも浅黒く日焼けしていた伯父さんも実はガンに侵されていて40代で死んだし、また別の伯父さんはJRの駅のホームで突然倒れ帰らぬ人となったし、って思い返すと、結構、普通にぼくらって明日死ぬんだよね、ホント。
だからですね、生きているうちに一度でも自分や親や祖父やそのまた先祖の過去を遡って感謝するっていうの大切だと思うんですね。
ただ、これって頭の中で考えてもまったく想像もつかないので、目に見えるカタチにしておくとその連綿と続く関係が実感出来る。
そのためには、家系図を作ってみるといいですよ!
上手くいけば6代ぐらい前までの戸籍が取得できて、血族の関係が一覧出来るんです。
ご両親へのプレゼントとしてご依頼頂くことも多いのです。
ご先祖様への感謝の気持ち、「記憶」より「記録」で家族に伝えてみませんか?
行政書士阿部総合事務所 行政書士阿部隆昭