行政書士阿部総合事務所として開業当初はたまにあったのですが、最近全く聞くことがなかった。
がしかし。
「知り合いには5000円でやってもらったので、ねっ」
とか言われてしまう事案があって、自分も未だ未だだなあと実感した。
知り合いに5000円でやってもらったという事と同じことを、目の前の僕にお願いできないのかと暗に言っているわけです。
お友達価格でやってくれないかと。
ついては、会社にはお金がなく、当社の将来を買ってくれてあーだこーだ、と。
いやいやわかるんですよ、もちろん、言わんとしていることは。
将来性を買ってくれというならば、将来性を見せてくれ、と。
どこをどういくらで買うんだよ。
何もないまま、今はお金は払えません。
それでは、この世の中で買い物は無理だろう。
西友に行って、自分には将来性があるから、今目の前にある100円のメロンパンを10円でなんとかならないか、ねえダメなのか?と言っているようなもの。
そもそも、ありえない、無理筋の話なのだが、私たちのようや役務供給型の無形のサービスの場合には、臆面もなくそういったことを言われてしまうが常だ。
もしも自分がパン屋さんだったとして、上代100円のパンを10円で売ってくれと言われたとしよう。
それは無理ですとはねつけた時に、「お友達なのに10円じゃ無理だって言うの」と言う目の前のその人をお友達だと思えるだろうか?
お友達ならばだな、上代100円だけれども、オレ120円でまとめて買うよ、ぐらいのことは言うだろう。
120円はないとしても、値切ったりするのは恥ずかしくて出来ないはず。
値切っていいのは、値切りを愉しむ慣習がある場合と、その場限りの関係性の場合だけ。
そうはいってもですね、事業者さんによってはいろいろな状況はあるわけですよ。
それはもちろんわかる場合もある。
そういった方々には、これこれの理由でこの金額で、という場合ももちろんある。
それは僕とクライアントさんとの属人的な関係性においてね。
そういった関係性も築き上げないまま、「知り合いは5000円でやってくれた」と言ってしまうのは、経営者としてどこにカネを突っ込むかの判断が出来ない証左でもあるわけ。
お友達でもない人にお友達価格を持ち出されるのはそう落ち込みもしないのですが、この人はと思っていた方にお友達価格を提案され、その価格のレベルがもうお友達ではなく追い剥ぎレベルであったときは、ああそうかそうなのかと感慨深くなってしまう。
だけれども、この事業者さんとは一緒に大きくなりたい。
そう思っている方に対しての知見の提供は、僕は惜しまない。
人間は感情の生き物だからね。
解決支援コンサルタント野獣系行政書士阿部隆昭