自分にとっての当たり前は、他人にとっては当たり前じゃあ全然ない。
ブログを書く時にはペルソナを設定するといい、なんていいますよね。
誰に向けて書いているのかを明確にする。
このブログの対象者はハッキリしています、自分です。
が、もしも万が一、お読み頂いている方の心がざわざわしたのなら、このブログの対象者はあなたです。
新しいセミナーの企画を考えているときに思います。
これって、需要あるかな?
とか。
求められていない内容であれば開催しても誰も集まらないし、話している側もつまらない。
でも、その判断って難しい。
自分の価値ってなんだろう。
この人、こんなことも、しかもハイレベルで出来るんだ!
と思った瞬間がごく最近ありまして。
経験が価値に変わる!
といったら良いのかな。
価値って、誰かが見出してくれるわけでは当然なくて。
自分から手を上げてナンボなんですよね。
”私、こんなこと出来ます!”
ってなって初めて、
”おっ、そーか。んじゃ、これやってみるか?!”、ってなる。
経験があっても、その経験が価値に変わることなんて自分では分からなくて、この先の道を進めばもしかしたら違う世界が拡がっているのかもなんて思うけど、最初の一歩が前に出ないで下を向いて早三ヶ月、なんてことがよくある。
一気にモノゴトが進みそうな急勾配の下り坂に立ちすくんでいて。
どうしようかな、後戻りしようかな、転がってもいいけどその途中で今まで荷物が全部無くなってしまうんじゃないか、引き返して昨日までと同じ一日を今日も明日も明後日も一年後も送ったほうがいいのかな、とか思ったり。
そのときだ!
下り坂で膝かっくん
してくれる誰かが必要になる。
でも、そんな誰かなんてそうそういないんだよね、せいぜい恋人、配偶者、親子などの密な関係に限られるよ、運命の一撃を食らわしてくれるのは。
”君さー!!、こんなこと出来るんじゃない!!”
とか、
前にさ、これやってたって言ってたじゃない?、こっちも出来るでしょ!!、やってみたら!。
とかね。
下り坂で膝かっくんしたら、前のめりに壮絶に転がるわけですよね。
でも、いつかは転がるのは終わりになる瞬間があって。
大切なのは。
しっかりと立ち上がって景色が見渡せるかどうか。
そう!自分では想像つかないほどの景色が拡がっていることがときにはあって。
”これ、膝かっくんがなかったらここまで来れなかったんじゃないか?!”
”ここまで来たら、後はオレ、一人で行けるわ!、んじゃあねー♪”
とかね。
この手の話しをするときに、よく言われることが一つだけあって。
”本人の手を引っ張るのは良くない”
とか、
”背中をそっと押すだけでいい、強く押してはダメ”
とかね。
もう、そんなのショージキどうでもいい。
だってね、相手、もうオトナだよ、仕事しているんだから。
嫌だったら手を引っ張られても、行かないって!、そっちには。
無理だと思ったら、背中押されても踏ん張ってるって!。
でもね。
下り坂の膝かっくんは、最強
”行かない”とか、”踏ん張る”とかいう選択肢がない笑
もう、転がって立ち上がるしかない。
だからとっても危険だし、密な関係性じゃないと成り立たないと言っているのはそこ。
もっとも密な関係性なのは、実は自分だ。
同一人なのでもはや関係性なんてこととも違う。
あなたの経験が価値に変わる瞬間がきっとあって。
そのためには、あなた自身が手を挙げる必要があって。
急展開しそうな瞬間があったら、膝かっくんをしてくれる誰かが必要で。
誰もいなかったら自分で膝かっくんして。
そうすることで、人生の歯車が急速に回るんだよ!
だからとりあえず転がっていけ!