精神障害者の方に向けた講演用に作成したスライド資料が全て「障害者」になっておりまして。
内容を確認しながら「障がい者」に変更する作業を夜中にしていました。
私たち行政書士の一部にも、「障害者」と書くのではなく、「障がい者」と書いて下さいと「指示」する者もおり、どうなんだろうと日頃感じておりました。
言葉を受け取る側の感じ方の問題がどうしてもありますので、私は「障がい者」と表記してもいいと思っています。
「障害」にしなければいけない、とは思っていません。
ご興味がある方は、この記事が参考になるとも思います。
乙武さん、為末さんのTwitterにもリンクされています。
その「変更」する作業で調べ物をしているうちに『「障害」 の表記と用語に関する研究ノート』という論文を拝読致しまして。
一応、リンクを貼っておりますが、長文なので開かなくても大丈夫です。
日本福祉大学社会福祉学部
「障害」 の表記と用語に関する研究ノート(151ページ)
「障害」 から 「障がい」 へという表記の考え方には, 「子供」 から 「子ども」 へという表記の考 え方と同様の変更の考え方である。
「供」 の字が, 「そなえる」 という意味であり, 「人身御供」 (神に捧げる生け贄) から, ひらがなで表記をはじめた経緯がある。
「障害」→「障がい」
「子供」→「子ども」
とは同じようなロジックが働いているのだなあと、理解しました。
漢字から私たちが想起するイメージの問題。
「害」の字はなんとなく分かりますよね。
でも、「供」は?
「人身御供」という用語があることはご存知でしたか?
ちなみに、「じんしんおとも」じゃないですよ。
「ひとみごくう」と読みます。
文科省が2013年6月下旬、公用文中の「子ども」の表記を「子供」に統一した、と複数の新聞が報じた。
同省の公文書では常用漢字を使うのが原則だが、「こども」については漢字の「子供」ではなく「子ども」が多用されてきた。
「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ、差別的な印象を与えるというのがその理由だ。
子供の「供」の字が、古い時代の生け贄の習慣をイメージさせるから使用を控える、ということのようです。
でも、どうなのでしょうね。
障害の「害」の字は、嫌なイメージとして受け取ってしまうのはとても良くわかります。
子供の「供」の字からは、生け贄は連想しませんし、
「供」の字が使われている存在だから、オトナの自由にしていい、とも思わないでしょう。
とは、一見思うのですが、どうだろう。
さっきから、どうだろうしか言っていませんが、でも、本当にどうなんでしょうね。
これって正解があるようでないような世界なので、受け取り手が嫌な方に寄せるべきだとは思っているのですが。。。