「本当はこんなはずじゃなかった」
これは思考というより、現実を拒否する呪文に近い。
「本当」という言葉の正体
ここでいう「本当」は、
- 事実ではない
- 検証できない
- 誰も確認できない
にもかかわらず、
「本来あるべきだった世界」
を密かに前提にしている。
この瞬間に、人は
現実(事実) vs 本当(空想)
という二項対立を作る。
そして必ずこうなる。
- 現実は「間違っている」
- 自分は「奪われた側」
- 何かが「狂った」
ここから先は、もうダークサイドへの一本道、急降下。
なぜ「諸悪の根源」なのか
「本当はこうだったはず」という構文は、
- 事実を否定する
- 過去を未確定に戻す
- 責任の所在を曖昧にする
- 未来の選択を止める
この4点セットを一瞬で起動させる。
特に致命的なのは、「2」。
僕はこれまで主張してきたように、
過去は確定した事実でしか扱えないのに、
「本当は」という言葉は、
過去を再び操作可能な対象にしてしまう。
つまり、
もう終わったものに、再び介入し始める
これが地獄、ダークサイドの入口。

「本当は」、は免罪符でもある。
もう一つ厄介なのは、
「本当はこんなはずじゃなかった」が
自分を守るための免罪符として機能すること。
- 失敗したけど、本当の自分じゃない
- 選んだけど、本心じゃなかった
- こうなったけど、運が悪かった
一見、自尊心を守っているようで、
実際には自分の選択から逃げている。
そして逃げ続けた先に残るのは、
「本当の自分」がどこにも存在しない世界
これがダークサイド感の正体だと考えている。
理想とする立ち位置は、反対側にある。
理想としてのポジションは、
- 「本当」を持ち出さない
- 事実だけを確定させる
- 評価も意味づけもしない
- じゃあ次どうする?に進む
という側。
もし一文に圧縮するなら
この思考を、さらに尖らせるなら、こんな感じになるだろう。
「本当はこうだったはずだ」と言い始めた瞬間、
人は現実ではなく、空想と戦い始める。
あるいは、
「本当」という言葉は、
事実を否定するための最も手軽な麻薬だ。
これはかなり強い。なのだけど、「本当はこんなはずじゃなかった・・」からの解放こそ、私たちがフィジカルもメンタルも健康的に寿命を全うする考え方なのだと僕は思っている。
行政書士阿部隆昭


