週刊文春2月12日号伊集院静の「悩むが花」
どの雑誌にもある人生相談コーナーですが、回答者によってはしっかりとした読み物として成立していることってよくありますよね。
岡田斗司夫さんであったり、北方謙三さんもそう。
両親の介護のため、今まで築いてきたキャリアを全てなげうって帰郷する決心をいたしました。
遠距離にある実家と東京を行き来しながら五年間、仕事を続けてまいりましたが、体力的にも、精神的にも、経済的にももう限界です。
介護というものはいつ終わるか予測がつかず、この状態が長期に渡ると考えると、仕事と介護のどちらも中途半端になってしまいます。
悩んだ末の苦渋の選択でしたが、その結果、私の人生は志半ばで終わってしまうのかと諦めきれない気持ちもあります。
今のこの気持ちをどうすればいいのかを伺いたくメールしました。
体力的・精神的・経済的、もうつまり万策尽きた、そんな状況なのだと思います。
それでも、伊集院静さんは、「介護の施設なり、別の方法をまず考えるべき」だと答えるのです。
結論か文章を読んだ私は、”なぜ??”と思いました。
伊集院静さんも同じような経験をされたそう。
姉や妹に両親の面倒をみさせていては彼女たちの人生設計が成り立たなくなる。
仕事の本拠地を実家へ移すべきかを本気で悩んでいたところ、お父様の一言で悩みが氷解したという。
「おまえはおまえの仕事をまっとうしなさい。
そうしてもらわねば何のためにおまえを育てたのかわからなくなる。
わしと母さんは大丈夫だ。
いらぬことを考えるな。」
あった、そういえば私にも同じようなことを言われたことがあった。
あまり思い出したくないので、細かくは書かないけど、全然大丈夫じゃないくせに、「大丈夫だからお母さんの心配なんがしなくていい」、なんて言いやがって。
あれは、いつだろう、死ぬ一年前ぐらいかもしれない。
でも、そう言ってもらえたからこそ、人生のハンドルを切れたのは間違いなく。
妙な言い方に聞こえるかもわからんが、親というものは子どもが成長し、自分を踏んでも伸びて育って、実って欲しいと願う存在と考えたほうがいいと思うんだ。
理不尽に思える、見えることの中には、人間の真の生き方があると私は考えている。
あなたがきちんと生きる、仕事をすることを一番に考えなさい。
それが私の答えだ。
ちゃんと生きよう。
今日もあしたも、その次の日も。