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オトナがする質問のもう一つの意味|行政書士阿部総合事務所

September 17, 2014
約 4 分

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「質問」には、問いに対する答えを単に求めている場合と、そうではないときがある。

オトナの「質問」は、ときに話しの流れを作りたいときのキッカケとしてなされる。

 

欲しいのは問いに対する答えじゃない。

 

質問をキッカケにして、そこからコミニケーションが生まれる。

”分かり切った質問しやがって、そんなの自分で調べれば分かることだろ”、といった対応をするオトナがたまにいるが本当に残念だと思う。

 

”そんなまどろっこしいことしないで、普通に話せばいいじゃん”って思いますよね。

そもそものコミュニケーション不足が問題なんじゃないのかと。

ところが、オトナにはそういった形でアクションを起こさなければならない「場」がときにはありまして。

 

例えば、その「場」はどこでもいい。
家庭でも職場でも。

 

例えば思春期を迎えた男の子とお母さんが二人っきりになったとしよう。

まあ、共通の話題なんて、そうそうないわけですよ。でも、普通に話しはしたい。進学のこととか、勉強のこととや友達のこと、いろいろ聞いてみたいと思っている。
お母さんは、至極当然な質問をしてみる。

「学校楽しい?」

もちろん、その問いに対する直接の答えが欲しいわけではなく、話しの流れのキッカケとしての質問。

「別に」といったごく短い答えに、今さらそんなの聞いてどうすんの?といった対応が感じられていてもまあいいわけです。
キッカケづくりだから。
そこから話しを展開させるための質問。

 

欲しいのは問いに対する答えじゃない。

 

これが中高生だからまだいい。

オトナになってもこの対応から卒業できない人がたまにいる。

 

「場」を職場や社会に移してみる。

例えば、あるコミュニティに参画したとしよう。

参加者同士に面識がない。

期限が決まっているのに、企画の提案にも盛り上がりを欠く状態。このままじゃ、時間的に趣旨を達成させるのは無理じゃない?

そのような時、企画の趣旨やそもそもの方向性など意図的に分かり切った質問をすることがある。

 

なぜか。

それらに対する回答を通して、企画の趣旨などを他の参加者に再確認させたり、動きを加速させるためだ。

和気あいあいと参加者同士が話し合える場であれば、そんな迂遠な方法は必要ない。

そうでないからこそ、その質問に意味がある。

その意味を汲み取ることが出来ずに、
「しっかりと主催者の書いてあることを読んで理解しろ!」といった対応をすることは、先ほどの中学生とやっていることに何ら変わりがない。

オトナの集まっている場で、”今さらそんなの聞いてどうすんの?、バカじゃない?”といった対応をされるとがっかりしてしまう。

 

いやいや、質問の趣旨はそこじゃないから。

 

一方で、こういった質問を、参加者全体の問題と捉えて上手に話しを展開させる人もいる。
素晴らしいなあと思う。

なにもオトナ同士の集まりの「場」じゃなくても、この「対応」が必要な場面は実はたくさんある。

 

もしも。

”私、今までそんな「対応」してきちゃったかもしれない”と思われたら。

身につけるべきは、質問者を注意深く観察すること?、会話の技術?、コミュニケーションスキル?。

そんなもの一切必要ない。

 

そう。

どんな時でも相手に対する思いやりの心、尊敬の眼差し、そういったものが自分の中にあれば大丈夫。

それさえあれば、意識せずとも自然にできているはずだから。