だめなんだよ!
年寄りは動きが遅くってさ。
内容も、つまんないつまんない。。。
高齢者が高齢者自身にダメ出しをするんです。
へえ~って思われるかもしれませんが、
イベントなどを通して高齢者と触れ合っていると珍しくないのです、こういったことを聞くのは。
例えば、高齢者向けのボランティアイベントがあるとします。
ボランティアをしているのは、高齢者
ボランティアでサービスを受けているのも、高齢者
こういった状況のときに、手伝っている私にボランティアされている高齢者がコソッと言うことは、
年寄りよりに世話されるよりは、若いほうがいいんだよ
「年寄りに世話をされるよりは、若いほうが良い」、と仰るのには二つの理由があると思っています。
1.同世代に世話をされるとプライドを侵害される。
どうしても、どうしても、どんなに気を遣ったところで、
ボランティアには世話をする人と世話をされる人との上下の関係が必ず発生します。
これは避けられないし、関係性は発生するけれども、それは「上下」ではないと言う方もいるのですが、それも違うと思っています。
ほぼ同世代なのに、なんで君らから世話をされなきゃならないんだよ。
高齢者からボランティアされる方の中にはこう思っている方がいるのは事実。
もちろん、いい悪いの問題ではなく、そして、その人のパーソナリティーの問題でもないです。
人の年齢には、そういった作用があるのだと思っています、私は。
なぜなら、年齢は単なるアラビア数字の組み合わせではなく、80歳なら80年間の、40歳には40年間の人生の積み重ね。
80年間のプライドがある。
ですが、たまたま健康問題だったり、事故に遭わなかったり、介護で苦労しなかったり、様々な要素によって同じ年齢なのに誰かのサポートを受けざるを得ないことが誰しもに起きてしまう。
そのときに、本来同列にあるべき世代なのに、ボランティアを通して「上下」の関係になると感情的な反発が起きる。
そういった「作用」なんですよ。
で、反発要素が、年齢だけにあるとすればですよ。
それを唯一崩せるのは、やはり「年齢」だけなんですよ。
年齢が若いというだけで、ほぼ自動的に起きてしまうこの「反発」を抑えることが出来る。
年齢からくるプライドがぶつかり合うことがない。
だから、だから、
ボランティアする側は若い世代のほうがいい。
といいますか、
若い、というそれだけで気持よくボランティアされることになるんです。
ボランティアさせてあげるよ!
ってなる。
いや、そういう場合は、
ボランティアで支えてくれてありがとう!
って、その方の素直な感じが出てくる。
そうなると、ボランティアしている側もとても気持ちがいい。
車椅子に乗った高齢者などをサポートしている大学生グループを街で見かけたことがありませんか?
とても気持ちいい関係が築かれているだろうことは外から見ていても分かる。
ボランティアをさせてもらっている側の年齢が圧倒的に若いというだけで、双方が気持よくボランティアをしたりされたりが出来るんですよね。
もう一つの理由は。
2.ボランティアをさせてもらっているという視点があるかどうか。
全てのボランティアには、ボランティアをさせてもらっているという視点が必要です。
いいですか?
ボランティアしてあげる。
のではないですよ。
させてもらっているんです。
この視点をアタマで理解するのは実はとても簡単です。
ですが、ボランティアの現場で求められているのは身体で分かっているかどうか、その人の身についているかどうか、です。
なぜなら、
アタマではボランティアさせてもらっていると思っていても、カラダで分かっていなれば相手に出てしまうんですよ、その人が何のためにボランティアをしているかが!
少し私の話しをします。
高専時代、ある社会問題系の調査をしたことがあります。
困っているから助けてあげよう、
救いだしてあげよう。
と思って仲間と行動したんですね。
ボランティアと同じロジックです。
知識もあるし、自分たちならそういったことが出来ると。
でもですね。
それって、決定的に誤っておりまして。
※私がそれに気づくのは、その数年後になるのですが。
もしも、昔に戻ることが出来るなら、
お前、それ全然違うから、今すぐ止めな、それ!
って言ってあげたい
助けてあげようと思っているのに、なぜ協力しないんだ?!
頼ってくれれば、助けてあげるのに!
こんな気持ではボランティアなんて上手くいくわけないですよね。
ホント、自分バカです。
助けて欲しいのは自分
救い出して欲しいのは自分
ボランティアで助けてあげよう、救い出してあげよう、と思っているのは全て自分のためにやっていたんだ!
と分かった時は衝撃でした。
しかし、同時に、ココに気づかないまま年齢を重ねていたとしたら、大変なことになったとも思いました。
自分のためにボランティアをしている。
困っている人を助けてあげている自分の満足感。
困っている人の笑顔が見れたときの自分の幸福感
困っている人を救い出した時の自分の充足感。
ぜーんぶ、全部、自分のため。
この視点がですね。
年齢を重ねると理解しづらいのだと思います。
加齢からくる理解力の衰えといった意味ではなくて。
もちろん、公益団体がボランティアの理念などを伝える機会もあって、アタマでは理解する事ができる。
ですが、先ほども書いたようにアタマだけではダメ。
相手に伝わってしまうから。
ちょっとした瞬間に、アタマでは分かっていてもですね。
態度に出てしまう時がある。
ただで、世話してあげているのに、わがまま言うんじゃねーよ!
と。
ボランティアをしているのは自分のためなのだということを、アタマでもカラダでも理解しやすいのは若い年齢だと言えると思います。
なぜなら。
誰にもどうすることが出来ない「年齢」のプライドとぶつかることもない。
ボランティアから得られた経験を今後活かすことを念頭に置いて行動できる。
この、
ボランティアから得られた経験を今後活かすことを念頭に置いて行動できる。
というのは、とてもとても大切です。
何が起きても全て自分の経験になる。
そう思えたなら、どんな不合理なことがあったとしても耐えていけるでしょう。
ボランティアどうのこうのという問題ですらないです。
それが、高齢者のボランティアの場合には、です。
時間的にどうしても限られてきます。
全ての人に平等な「問題」なので異論がある方はいないと思いますが、残された時間がないので、経験を活かそうにも活かす手段が極端に狭くなる。
ボランティア団体の運営者であれば、”その経験を後世に承継させる”、といった形で活かす事ができる。
しかし、普通にボランティアをしていれば、そういった機会はまずない。
その点、若い世代であれば、その人次第で活かし方は無限。
ボランティア経験を活かすことが出来るのか出来ないのかは、全て年齢からくる「残り時間」にかかっているのです。
だから、若い世代のほうが、ボランティアさせてもらっているという視点を持ちやすい。
それが、ボランティアをされる人、ボランティアをしている人との関係性についても良い影響を与える。
だから
ボランティアをする側は、される側よりも若くなければならない