あるイベント終わりの懇親会の席に少しだけ参加したときのこと。
話しの流れはよく分からないのですが、話題が「年商」になっていました。
呑んでいるのは全て企業家。
起業したての方から10年前後の方まで様々。
当然のことですが、それぞれの企業家、それぞれ部分については明確な「差」が付いているはずです。。
ある企業家は、その道で成功した人物で、おそらくそれなりの年商を生み出していることが途中参加した私でも会話の内容から知ることが出来ました。
ある方が、
「年商、1500万円ぐらいです。」
と言うと。
「うーんうん、自分にもそんな頃があったあった。懐かしい、うんうん」
と、食い気味に。
”はいはい、それはもう忘れかけていたほど一瞬に駆け抜けた場所で、今では随分遠い世界になってしまった。
まだ、そこを歩いているのか!
かわいいものよ。”
自分はその方々が、ある程度成功していたのは知っていたので、二人の会話についてもそれなりに愉しむことが出来た。
人間的にも悪いひとではないであろうというのもたぶんそう。
企業家って「年商」だけで語ると、恐ろしくつまらないなあと思って聴いていた。
”つまんねー、なにこの会話”
もちろんお金を稼ぐことはとっても大切で、誰かを幸せにするにはお金は無くてはならないもので、心の安定は経済の安定に支えられているのだけれど、それだけだと魅力が全くない。
更に、そう感じたのは、その方のパーソナリティーとは一切関係がない。
同じ週に、あるNPO法人の運営の方と話す機会がありました。
詳細を書くことは避けますが、地域のある課題の解決のために長年尽力されている方。
事の性質上、カネを生み出すのが難しい。
だから、自治体、慈善団体からの寄付、補助金・助成金等を駆使しながら法人を維持している。
その法人がそこに在るだけで、必要としている多くの方の役に立っているのも知っていたし、設立当初の理念にもとても共感できるものがあった。
たまたま私は行政書士で他の行政書士よりも企業法務に親しんでいるので、その法人が考えているこれから展開に役に立つ自信もあった。
出来れば、
というよりも、ぜひサポートさせて欲しいと思い、ある申し出をした。
ちょうどその方とのお話しの記憶も残っていたので、懇親会でのやり取りの最中、こんなことを思った。
企業家は「年商」か「理念」でしかスゲーって思われないんだな。
このブログのタイトルどおり。
その次に思ったことは、
「年商」のスゴイは、朝になればすぐに忘れてしまう程度の凄さ。
「理念」のスゴイは、朝まで眠れずにどうしたら一緒に出来るかを考えるほどの凄さ
清貧でも理念さえあればいい
なんてことを思っているわけでもなく、
年商だけあっても、理念がなくっちゃね、
とも思っていない。
フワッとしたこと言うつもりもなくて。
理念→年商→理念
この流れが私、行政書士阿部隆昭のあるべき姿だと思っている。
他の人は正直どうでもいいし、先日お会いした方のように儲けたいからネットビジネスをやってみようと思ったというのでも全然構わない。
たった数十年しかないワンチャンスの人生はどうあるべきなのか?
といった「問題」は、問題だと思う人だけが考えればいいことであって、どう考えようとも、考えなくてもどうでもいい。
私の理念は、このWEBサイトのトップページにも書いていて。
行政書士阿部総合事務所は、行政書士資格を使って地域の課題解決に取り組んでいます。終活セミナーを通して高齢者と直接会い、抱える問題を顕在化し、解決するのがゴール。
そのためのコミュニティを創るのがミッションです。また高齢者支援、子育て支援及び精神障がい者支援に取り組む地元企業・NPO法人を顧問として支えています。
本当にそう思っていて、高齢者問題でも精神障がい者の問題でも、社会性が維持できると問題のほとんどは解決することが出来ると本気で思っている。
独り暮らしの高齢者でも、地域との繋がりを維持できており、トラブルに遭遇しても誰かがそれに気付いて助けの手を伸ばしてくれる。
そのためには、どうしても高齢者本人に社会に参加してもらうことが必要。
精神障がい者の親なき後問題でも、社会とのつながりを持ちつつ、どのような形でもいいので交流を続けることで解決方法の選択肢は格段に増える。
高齢者問題にしろ、精神障がい者問題にしろ、一人ぼっちにさせないコミュニティの存在が求められている。
そのコミュニティを作ることは理念を実現するための方法。
コミュニティに作るためには、どうしてもお金が必要です。
そして稼いだお金は、その理念の実現を加速するために使う。
理念が年商を生み出し。
年商は理念に還元される。
このループが完成されたとき。
「年商」をもってしても、「理念」をもってしても、スゴイと思われる企業家になったのだと思う。
text/行政書士阿部隆昭