変わるって怖い。
変わるって不安。
変わった後にどうなるか分からないから。
この状況のときに、私たちは、今あるものを失うことを恐れてしまう、どうしても。
なぜかというと、今あるものはそこに見えるし、感じるし、現実のものとして受け入れられるから。
しかし、変化した後に手に入るものが何か?、失ったものの代わりに入ってくるものが何か?ということは、正直誰にも分からない。
それは、空想でしかないから。
手に入るかどうか分からないものより、現実に今あるものを失うことを私たちは恐れてしまうし、不安に感じる。
これは、もうどうしようもない。
だけど。どうだろう。
変化することと、失うことは全く同じなのだろうか?
変わることと、不安感や恐怖感は関係があるのだろうか?
変化したら変化したで、それに対応していけばいいだけ。粛々とね。
事務作業だから。焦らない焦らない。
焦れば焦るほど幻影の実態が見えづらくなる。
方法はいくつもあるし、対応出来る能力もぼくらは実は子どもの頃からトレーニングしてきた。
小学生時代、あんなに怖かったクラス替え。仲が良ければよいほど怖かった。
もう遊べなくなっちゃうのかな、一緒のクラスにならなかったらどうしようと不安で不安で。
学校が、そしてクラスが、「社会」のほぼ全ての小学生にとっては最大級の変化がクラス替え。
でもね。
それほどの変化が起きても一週間経ったら新しいお友達もできるし、別な社会が作られて、クラス替え前の不安や恐怖はなんだっただろうと笑えるほど。
変化して対応して変化して、の繰り返しが人の成長の源泉であるならば、むしろ変化しないのは害悪。
変化した後の幻影が強大であるほど、ぼくらは自分で勝手に負けにいく。幻影に平伏す。自分が作り出した幻に、作ったその自分が負けるなんて、あり得ない!なんて滑稽なんだろう。
やれよ!バカか、お前はなにをしてるんだ!と死んだ親が知ったら悲しむレベル。「人の一生をなんだと思ってるんだ!、ハンドルはお前だけが握れ!」
オトナになると、その人の将来在るべき姿を本気で考えて口を出し、手を差し伸べる人が少なくなるのは悲しいけれど事実。
でもね。
変化しても絶対に負けないんだよね。
変わっても対応できる。
必ず新しい世界が拡がる。
そして成長する。
最期に見る夢が増える。
これほど素晴らしいことはない。
変化することで、不安や恐怖に感じる必要は全くないし、不安や恐怖は自分自身が創り出した想像の産物、幻想でしかないし、変化に対応できる力がもともと備わっている私たちは、変化しても上手く立ち回ることできるはず。
変えたときに、思いもよらない結末を迎えたと一瞬感じることがあったときでも、なんども言うけれどそも、方法はいくつもある。
なので、この「勝負」、実は負けがない。
変わることは、必ず勝つ、勝ち戦。
勝ちが決まっているのであれば、戦ってもいいんじゃないかな。
大切なのは、一人で戦うのか、一緒に戦ってくれる相手がいるのかどうか?
この視点も実は大切。
方法はいくつもある。
だけど、一人で戦いに出た場合、勝ち戦なのだけれども、負けたように感じたとき、次の方法を見出すのが難しくなる。
もうお手上げ、手詰まり、今までどおりにしておけばよかった、と後悔することなりがち。
一人でいい。
一人でいいから、伴走してくれる人と一緒に変化する戦いに挑んだほうがいい。
楽に勝てるからね。
解決支援コンサルタント行政書士阿部隆昭