昔、3年B組金八先生っていう人気テレビドラマがありまして。
「腐ったミカンの方程式」っていう言葉はそのドラマで初めて使われたのだと思います、たぶん。
悪いミカンを狭い箱の中でそのままにしておくと、他のミカンまで悪くなってしまう。
ようするに、不良学生を教室や学校という狭い場から排除するための論理なのですが、金八先生はそれに対して果敢に戦いを挑む。
そういったドラマだっと思います。もうかなり前に再放送で観たので、ほんとうろ覚えです。
その、「腐ったミカンの~」が流行った時に、もうひとつ私のまわりで流行っていた言葉がありまして。
「朱に交われば赤くなる」
「腐ったミカン~」が想定している場面に照らし合わせるとほぼ同じようなことを言っています。
”悪い人と一緒に遊んでいると、自分まで悪くなってしまうよ。だから遊ぶのを止めなさい”、といったように。
でも、よく考えると言っていることは全く違う。
「腐ったミカンの方程式」・・・他者に出て行け
「朱に交われば赤くなる」・・・自分の居場所は自分で選ぶ
「腐ったミカン~」のほうは、ミカン箱という狭いエリアの他のみんなに悪い影響が及ばないように捨ててしまいましょうといっているだけ。
でも、「朱に交われば赤くなる」は、赤い色に染まりたいのだったら朱色グループに入ればいいというようにも読める。
誰と一緒にいるかによって、人の行動や考え方ってものすごく影響を受ける
どんな人でも与えられている時間は一日24時間。
これは一緒。
その限られた時間の中で、自分が使いたいと思っている時間は、交わりたい色を持っている人と一緒に居ればいい。
もしも、染まりたい色があるなら。
自分が興味を持っている分野が一つあるとして。
その分野に加速度的に近づきたいのなら、もうその分野の特定の人と一緒にいる時間を増やすことが一番早い。
その人や、その場に一緒に居るということは常にそこにアンテナを張っているわけだから。
なりたい自分をすでに実現している人がいるとして。
その人のようになりたい。
そう思っているなら、その人の居る場所、その人の行動などに直に触れるほうがインパクトが大きい。
「腐ったミカンの方程式」も「朱に交われば赤くなる」も、
”悪い人と一緒になれば自分まで悪くなってしまうよ、だから気をつけて”
と言っているのは同じ。
でも、
もしも「赤く」なりたいのなら、「朱」に近づいたら早く確実に赤くなれると思うよ。
『朱に交われば赤くなる』はそうも言っていると思いました。
赤くなりたいんだったら、一旦、朱色グループに入ってみればいい