「ガンの末期は痛いって言うよねえ」
「うちの母親も痛みがひどかったので、最晩年はモルヒネを打ってましたね。」
今年94歳になるご支援者様の自宅へ。
医者も驚くほど認知が入っていないので頭脳明晰。
昔のこともよく記憶していらっしゃるし、「引き出し」の多さ、深さもにもビックリする。
8年前、脳梗塞になったときのこと。
ちょうど、ちょうど医者にかかっているときに意識が遠のき、倒れたらしい。
「家にいたときに梗塞になったら、誰も居ないんだから、一人なんだから、そのままあの世に行ってたんだけど、たまたま、病院で倒れたもんだから、助かって。。」
なるほどなるほど。
「お医者さんで脳梗塞になるとか、ラッキーといえばラッキーですよね」
「いやいやそれがそうでもない、どっちがいいか分からないもの。このまま長生きして、テレビ見て、いつお迎えが来るか、とか思って毎日よりも、あのときに逝ってしまえばよかった」
「だって、痛みが何もないんだから」
ここから冒頭の会話、「痛み」の話になった。
最終局面ぐらい、なだらかに着地するようにはいかないものなのか。
最後の最後まで「痛み」に悩まされるというのはやるせないなあ。
確かに、彼のいうように「痛み」なく逝けるときに逝っておいたほうが良い、というも分かるといえば分かる。
分かる、かな。
「痛み」があったとしても、逝くタイミングはなるべくなら後ろ伸ばしにしたいと今は思っている。
帰りに飛鳥山公園の桜を。
まだ五部咲きぐらいかしら。
今週末あたりが花見で賑わうのかな。
散り際を綺麗にしたいと思うのは桜も人も同じだね。
行政書士阿部隆昭