こんばんは。
12月半ばになると、さすがに気ぜわしくなって慌てることがないことでも必要以上に焦ってしまったり。
12月11日号の週刊文春に面白い記事が載っていました。
人間は余計なものがあるからこそ、心が豊かになるのだと思うんです。
とおっしゃっているのは、哲学者の國分功一郎先生
存じ上げなかったのですが、イケメン哲学者として有名な方のようですね。
JTの広告記事なので、その「余計なもの」というのはタバコを吸うことになぞらえているのですが、別にタバコに限ったことではないですよね。
最低限の衣食住さえ揃えば、人は生きていけます。
でもたまには食いすぎる、飲みすぎるというのがないと、豊かさは感じられない。余計な二割増し分が生活にあって、初めて満足がある。
何をもって人生の豊かさとするのかなんて、改めて考えると難しかったりしますが、「◯◯過ぎる」ってことをキーワードにすると案外豊かな人生を私たちは送っているのかもしれない。
ただ、それに気がついていないだけで。
「◯◯過ぎた~」って思うときは、大抵は半分が後悔まじりで、「しなきゃよかった」とか「ほどほどにしておけばよかったなんて」思いますよね。
そうそう、ウォッカトニックに赤ワイン二杯と生ビール。
次の店で、サイドカー二杯にモヒート
こうして書くと、昨日はよく呑んだなあと思うんですが。
余計な二割増し、最後のサイドカーとモヒートの二割増しがあったからこそ、そう!豊かさを味わっていたんだと納得させています。
◯◯が、「遊び」だったり、「呑み」や「食べ」だったりいろいろだと思いますが、反省や後悔なんてすることない。
どんどん◯◯過ぎの経験を増やしていこう、なんて勢いづいちゃっています。