18年目の冬に、記憶をほどく
18年前の3月、母は63歳で死んだ。
今の僕の年齢から見ても、やはり早い。
今年も年末に、墓前に立った。
冷たい風が抜ける、いつも通りの場所だ。
そこに、花があった。
葉牡丹と、千両。
誰が置いたのかは分かる。たぶん姉だ。
でも、そのこと自体はどうでもよかった。
葉牡丹は、花ではなく葉だ。

咲くでもなく、枯れるでもなく、
ただ冬のど真ん中で、形を保っている。
千両は赤い実をつけている。
派手ではないが、確実に「そこに在る」と主張する色だ。
その二つが並んでいるのを見て、
不思議と、感情は動かなかった。
懐かしさも、悲しみも、込み上げてはこない。
ただ、
「ああ、過去がちゃんと“モノ”になっている」
そう思った。
人は、死によって観念になる。
思い出や後悔や、「もしも」に変換される。
墓という装置は、それをもう一度、
石と花と場所に戻す。
観念を、モノに戻す。
だから引きずらなくていい。
それが供養なのだと、
この歳になってようやく腑に落ちた。

千両の赤を見ていて、
18年前の夜を思い出した。
仕事から帰って、
キリンラガーの栓を抜いた。
そのとき、母が言った。
「お母さんも、ちょっと飲もうかな」
母は、酒をほとんど飲まない人だった。
末期ガンのさらに末期状態。だから、父も僕も、一瞬固まった。
「え、大丈夫?」
そう言いながら、なぜか少し笑った。
母は一口飲んで、
少しだけ顔をしかめて、
それでも満足そうだった。
なぜあの日だったのかは分からない。
理由は、たぶん無い。
でも今なら分かる。
あれは、母なりの「同じ目線」だった。
苦いラガービールを選んだところも含めて、
母らしい、最後の歩み寄りだった。
墓参りのあと、父が独りで住むマンションに向かった。
年末の挨拶、というきっかけではあるが、特別な話題があったわけじゃない。
でも父は、昔の話を始めた。
自宅を建てたときのこと。
時代の流れで、それを手放したときのこと。
そして、今ここにいるということ。
淡々とした語りだった。
愚痴でも、自慢でもない。
その話を聞きながら思った。
家というのは、
ただの建物じゃない。
仕事の選択、
時代への適応、
家族を守ろうとした執念。
それらが、
一つの場所に堆積していた結果が、
「家」だったのだ。
建物は無くなっても、
執念は消えない。
言葉になって、
次の世代に移動する。
母の葉牡丹と千両。
父の語る、建物の記憶。
そして、あの夜のキリンラガー。
どれも、感動的な話ではない。
でも、確かに残っている。
消えないのは、感情じゃない。
事実だ。
事実は、確定すると、
人を縛らない。
冬の夕方、
マンションの窓から見える街の灯りが、
少しだけ千両の赤に似ていた。
次は、父と二人で、
キリンラガーを一本ずつ飲もう。
それ以上の意味は、
たぶん、要らない。
と思ったけど、そうだ、僕、アルコールを今年の3月にやめたんだった。
行政書士阿部隆昭


