今回の講師は、社会福祉士事務所「ぷしゅけ」の代表である鳥山克宏先生。
社会福祉士で、精神保健福祉士でもある鳥山先生は、脱サラしてこの世界に入られたとのこと。
「精神障がい者に対する理解」という講座タイトルには、~如何に本人を理解し、寄り添いながら如何に本人を支援していくか~という副題がついています。
この副題こそが鳥山先生の「理念」を端的に表している、そんな雰囲気の講義でした。
内容についても書きたいんですけど、書かないほうがいいと思うので、あえて。
先生自身も仰っていましたが、今回の講義の内容はどこでも聴けるといったような性質のものではないと思う。
なんていいますか。
昔から、レジュメが書き込みでいっぱいになるほどの講師に理念と熱意が感じられる講義が好きです。
聴きながらアタマに汗をかくというか、ときに琴線に触れて冷や汗をかくというか、そんな講義。
結構、久しぶりかもしれない、こういった感覚。
この前は、伊藤塾長の憲法かな。
鳥山先生が担当した二限目の二時間があっという間、時計を一回も見なかった。個人的には休憩時間などなくてもいいぐらい。
大きなことで言えば。
この社会どうしたって、光の当たっている場所と、そうではない場所がある。
助けを必要としている人たちに、適切な支援をすることが相応の知識や知恵を持っている人の役割。
成年後見人として支援するのであれば、本人の権利利益の保護を図るために必要な手続きを尽くすこと。
理想、、かな。
キレイゴト、過ぎる?
でも、理想や理念がないんじゃ、人間として生まれてきた意味って、ない、ですよね。
違うかな。
ほら、エンジンのない車と同じ。
支援者である自分も困っているとして。
身寄りのない被後見人の自宅の引き出しに札束がある。
札束をポケットに入れるか入れないか。
ブレーキは唯一、理念があるかないか、それだけだと思うよ。
月割りにして3万円の後見人報酬目当てだけに成年後見人をやっているとしたら、入れるよ、たぶんポケットに。
誰も見てないもん。
その「ブレーキ」を持っていることが、成年後見人として最も大切なことなんだってことがわかる講義でした。
せっかく、この世に生を受けた以上、社会になんらかの足跡を残したい。
っていうのとも、また違う。
うーん、こうかな。
目の前に困っている人がいて、助けの手を伸ばしている。
その手を握ってあげるのか、瞳を閉じるのか。
法律を勉強してきたものとして、
その困り具合を推し量ることができ、
必要な支援策が頭に浮かぶんだったら、
やっぱり、
うん、その手は握り返したい。