ブログを書き続けていると、正直ネタに困るという日も中にはありまして。
これって、ブログを書いている人の多くが経験すること。
でもでも、どうやらこれって、「認識力」というチカラをつける訓練になっているようです。
よかった〜。
毎週エッセイを書くことを大学生に勧めいてる斎藤孝さんの『誰も教えてくれない人を動かす文章術』によれば、
’’学生たちは、書くことを意識しながら一週間を過ごすようになったのです。
エッセイを書くために生活すると言ったら大げさですが、生活の中で「これは発見にならないか」という常に何かをつかもうという意識でものを見るようになったのです。
彼らの生活は明らかにチェンジしました’’
ブログを書き続けるという作業によって、「常に何かをつかもう」というチカラが備わってくるのです。
そのチカラを斎藤孝さんは、「認識力」とか、「発見力」といった言葉で定義しています。
’’エッセイ力の向上と認識力・発見力の向上は連動している。
書く生活を始めると、これが実感できます。’’
元々だったり、後から気がついたり、「書くという作業」が好きな人だったらいいですよね。
自分がやってきたことは、間違ってないんだ!と思える。
そんなこと言ったって、文章なんて上手に書けないし。
そんな僕にさらなるモチベーションをアップさせてくれる言葉がありました。
’’書いた文章がつまらなかった時、人は「自分には文章力がない」と思うかもしれません。
しかし私は、学生はもちろんですが、自分の文章力というものに関心をもったことはほとんどありません。私が重視するのは、文章の書き方ではなく、その「内容」のほうです。
「内容」とはすなわち、物事をどう捉えたか、発見は何であるか、ということに尽きます。発見というのは、なにも「人類史上初の発見」である必要はありません。書き手であるあなたにとっての発見は何なのか、ということです。’’
ある出来事があって、それについて自分がどう思ったのか。
エッセイに求められるものは、そのプロセスということなのでしょう。
それがなければ新聞記事のような無味乾燥な文章になってしまう。
もしも、自分が書いたことに共感する方が現れたとしたら、それはとっても嬉しいことですよね。
斎藤孝さんも、こうおっしゃっています。
’’私は、ももの見方を変える文章こそが、意味のある文章だと思っています。単に書かれた文章の一部を受け取るのではなく、その文章を読んだおかげで、何かがインスパイアされる文章。
それを私たちも最終目標にしたいと思います。’’
読んだ人がインスパイアされるような文章。
少なくとも、「自分がこう思った」ということを必ず入れないとダメですね。
文章の作り方を技術的に解説した書籍はたくさんありますが、読む順番としてはそれは後。
でも、あれですよね、
ちょっとした文章テクニックあれば、認識のプロセスを読んだ人に対してよりわかりやく伝えることができるかもしれません。
『人を動かす文章術』というタイトルですが、文章の構成の仕方など細かいことは書かれていません。
「書く」ということは、そもそもどういうことなのか。
そういった自分の中の隠れた疑問に優しく答えてくれる良書だと思います。
自分はかなりインスパイアされました。