あるきっかけがあってシートン動物記の名作である「狼王ロボ」を読んでみました。
文庫でも40ページほどの短い文章です。
子供の頃から本を読むことが好きだった私ですが、なぜかシートンだけは素通り。
この歳になって、初シートン動物記です。
もちろん名前は知ってはいましたよ、狼王ロボ。
狼の王様で名前がロボ、であろうことぐらいですが。
おそらくこの物語のエッセンスは、賢い狼王ロボが人間の仕掛ける数々の罠をかいくぐり、時にはその行為を愚弄するような所作を見せ付けながらも、こと愛する者のためには自分を失い、ついには人間に捉えられてしまう、というところなんだと思います。
シートンがそのあたりを言いたかったのかはよくわかりませんが、愛する家族や異性やその他様々な愛でるものの危機に対峙したとき、それまでの過程を全否定するような行動に突っ走る、そういった内容の物語はある意味定番です。
ウィキペディアの狼王ロボのあらすじには、こんな記述があるのですが。
” あくまでも人間に屈服しないロボの最期を見たシートンは、その野生の中にある気高さに敬服すると同時に、誇り高き狼王に対する自身の卑劣を恥じた。”
仕掛けた罠にはまったロボを目の当たりにしたシートンは、「私はロボが手を下した多くの動物たちがたどった運命を同じようにロボにたどらせようとしながら、ふと何か良心の呵責に似たものを感じた」とあるだけで、「自身の卑劣を恥じた」に該当するような文章はないように思えます。
そもそも、シートンがロボに対して罠をかける行為は、さんざん痛めつけられた家畜に対する脅威を排除する目的をもってしたことなので、どこにも「卑劣」なものがありません。
翻訳の関係でしょうか。