しかも、遺言書だけが唯一の解決方法なのだとしたら。
もう、遺言書を作る以外に選択肢はありません。
遺言書を作ることができる能力があるうちに。
遺言書を書く人に判断能力が残されているうちに。
全力で遺言書を準備する必要があります。
ですが、そのなのですが。
なんとなく、ご自身やご家族は薄々そうだろうな、と感じているにもかかわらず、ですよ。
遺言書を作ることがない。
なぜかというと、
遺言書を作るということが、おカネで安心を買うことなんだと理解されていないから。
だと私は思っています。
今や遺言書は、死期が迫った人が枕元でようやく認める、といったものではありません。
むしろ、戦略的に遺言書を残す時代です。
自分の最後の最後の意思表示として、自分の思いどおりになるような相続を実現するために書き残すのが遺言書。
よく言われますよね。
私も言うことがありますけれど。
遺言書は相続争いを防ぐために残したほうが良いですよ、と。
でもですね。
誤解を恐れず、本来的な意味で言えばですよ。
争いなんて、起きたっていいんですよ、それが遺言者の意思どおりなら。
よろしいですか?
遺言書は相続争いが起こらないために書く。
のでなくて。
自分の思いを書き残すのが遺言書の役割。
なのです。
そうはいってもです。
徒に争いを希望している親御さんは、まあおりません。
自分の意思を実現しつつ、残された遺族たちに問題になることがないような遺言書が求められているのです。
どうですか?
こう考えてみると、結構難しいですよ、遺言書を書くのって。
『自分一人で書ける遺言書キット』といったような書籍をみながら書いたとして、
ーもう一度言いますがー
自分の意思を実現しつつ、残された遺族たちに問題を起こすことがないような遺言書が書けるのでしょうか?
私、行政書士阿部隆昭は、ハッキリ言ってしまいますが、それは無理です。
残念ですが。
遺言書を作るということは、おカネで安心を買うこと。
さきほども書きました。
どうせおカネをかけるならです。
遺言書の本を買いました。
それで1,500円。
安心は買えましたか?
買えたかどうか、それは分かりません。
専門職に相談しました。
安心は買えましたか?
私は、その専門職がどれほどの価値を提供してくれるのかが分かりません。
行政書士阿部隆昭に遺言書の依頼をしました。
あなたが支払ったおカネは間違いなく安心に換えることが出来ます。