「ウソ」と書いたら語弊がありますでしょうか?
結構多くの方が遺言書に付言を書くことができることを知っています。
それが、「付言」というものであることはともかく、遺言書の中で相続人たちに向けたメッセージを書くことができる。
自筆証書遺言(自分だけで書く遺言)でも、公正証書遺言(公証人の認証がある遺言)でも同じです。
私たち専門職の中にもおりますし、遺言をする方も、付言に過度の期待を抱いている。
でもですね。
ちょっとだけ、考えてみて欲しいです。
付言を読んで涙を流すのは誰か?
【遺言事項】
「遺言者の有する財産の全てを長男に相続させる。」
【付言】
「兄妹仲良く、争いごとなく元気に暮らしてほしい。」
長男にしてみたら、大満足の遺言です。
財産はすべて自分のもの。
「うんうん、お母さんのいうとおり仲良くやる!」
と落ち着いた気持ちで付言を読むでしょう、ときに涙しながら。
でもでも、次男は。
遺言では一切触れられていませんし、相続する財産はゼロ。
もちろん、遺留分の話にはなるのですが、何も触れないってどういうこと??
それなのに。
付言には、仲良く暮らせ!って、ナニコレ??
ってなるんです。
上記の事例、多少、状況を変えてはおりますが、寓話ではなく、実話です。
次男にとってみたら、
付言の内容なんて、まったく意味がない。
だからこそですよ。
付言にそれらしいことを書けばなんとかなる。
なんて、思っちゃダメです。
いろんな事を勘案して、遺言者はどうしてそういった遺言を最後の最後の意思表示をとして認めたのか?
それが分かるような、理解してもらえるような付言が求められているんです。
ひながたをちょろっと変えただけの付言がなんと無様なことか。
私は専門職なので、自筆証書遺言も、公正証書遺言も数多く見てきました。
中でも、目を引く、まったく他人である私でさえ心動かされる付言がある遺言が本当にごくたまにあるんですね。
もしも、これから自分の遺言書を書こうと思っていらした方がこのブログを読んでいたとして。
付言は、やっつけじゃなくて、本当に心を込めて書いてくださいね。
行政書士阿部総合事務所
行政書士阿部隆昭