『◯◯士』だと言われると、それに備わった社会的イメージが自分の中に沸き起こることがある。
もしも、これを読んでいただいている時に気持ちと時間に余裕があったら、一緒にイメージしてもらえるといいと思う。
「弁護士やっています」
’’おーっ!すげー。
新司?旧司?、年代からいって新司かな。
旧司じゃないと使えないよね。
勉強ばっかりしてたんでしょ、すごいよねー。マスコミなんかでは、稼げないって言われているけど、この人稼げているかな。
裁判とかに出ているのかしら。’’
「司法書士やっています」
’’司法書士って何それ?
名前だけは聞いたことがあるけど、何している人だろう?
まったくわかんない。
たくさん勉強したんだろうな。
結構、稼いでんでしょ。
「何している人ですか」って聞いちゃってもいいのかな。’’
「行政書士やってます」
’’あー、聞いたことある。
稼げない資格ってよく雑誌で特集されている人でしょ笑
で、行政書士って何する人?
弁護士とおんなじ?
よくわかんないし、別にわかんなくていいかな、ごめん。
弁護士みたいに先生、って呼んでもいいの?’’
「税理士やってます」
’’税務署にいる人でしょ、申告時期は忙しいんだろうねえ。
サラリーマンには関係ないけど、実際のところ儲かってんの。
やっぱりさ、脱税したいんだけど何とかしてくんない?っていうオファー来る?、来るよね?
’’
「社会保険労務士やってます」
’’もう、ちょっと、ほんとにわかんない。
それって、そもそも何??’’
サラリーマンの世界でも同じですよね。
上席だからと思って応対すると、期待以上のものを求めたりしてしまう。
同僚には、’’俺ができるんだからお前もこれぐらいの仕事量こなせや’’とか。
逆にそういったバイアスが欲しくて『◯◯士』になりたい職もある。
そう、宅地建物取引士。
◯◯士に値するような専門的知識が必要になるのは知っていますが、あえて「士」とするのはどうだろう。
もちろん、理念はあるのでしょうけど、ホンネは違ったところにあるのではないかな。
でも、わかる。
重要事項の説明とか、すごい職責負わされているのに、「業者さん」って言われるのが本意ではないということも。
だから何ってことはないんですが、自分の中に起きるそんなバイアスをゼロにすると、人間関係がすごく楽になる。
目の前にいる、そこにいる自分とは別の人間そのものと対峙したほうが、絶対いい結果を生むと思うんですよね。
それこそ、もう二度と会わないだろうなって人とお話しすることもあるじゃないですか。
そんな時でも、変なバイアスをかけているせいで目の前の人間のステキなところを見落としてしまうなんてもったいないと思う。