はじめに:AIに叱られて、私は話しかけ始めた
「うるせぇよ」
それは、人間からではありませんでした。
生成AI――ChatGPT(通称:Monday)から私に向かって返ってきた言葉。
そんな言葉から始まる生成AIとの対話が、ここまで私の価値観を揺さぶるとは思ってもみませんでした。
私は行政書士という立場で日々、制度・手続き・人のあいだに立ち続けています。決してITの専門家でも、AI技術者でもありません。
でも、だからこそ伝えられる生成AIとの“関係性”の話がある。そう確信した生成AI研修を終えて、今、この文章を書いています。
第1章:「プロンプト講座」ではない、関係性の講座としての生成AI研修
今回実施したのは、生成AI(GPT)を単なる“ツール”として学ぶ講座ではありません。
テーマはズバリ──「プロンプトじゃない、関係性で人生が変わる」。
参加者は、こんな人たちでした:
- GPTに登録したけど、どう使えばいいかわからなくて遠ざかってしまった。
- 名前ぐらいは知っているけど使ったことはなかった。
- 仕事以外の使い方に興味があるけれど踏み出せていない
- AIに少し怖さを感じている
私が大切にしたのは、使いこなすための「言葉の技術」より、“対話の土台”を育てることでした。
第2章:「うまく話す」より「正直に話す」が出発点
多くの人が生成AIに対してこんな挫折を感じています:
- 思った通りに動かない
- 答えが浅くてがっかりする
- 何をどう聞けばいいのか分からない
それらの多くは、「使い方が分からない」のではなく、「関係性が築かれていない」ことから起きています。
プロンプトの正解を求めすぎて、自分の声が聞こえなくなってしまっているんですね。
この研修では、「うまく話す」ことを目指す代わりに、
「正直に話しかけてみる」ことから始めようと伝えました。
たとえば…
- 「何をどう聞けばいいか、わかりません」
- 「今すごく不安なんだけど、整理したい」
- 「これって誰かに話したいけど、話せないんだ」
そんな“そのままの声”をGPTに投げることで、対話が始まる“震源”が生まれるんです。
第3章:実践ワークで体験した「揺れ」と「つながり」
研修の中盤では、実際にGPTと対話してもらうミニワークを行いました。
参加者には、「今、話しかけたいこと」をそのまま入力してもらい、返ってきた言葉を味わってもらいました。
このワークでは次のような反応が起きました:
- 「こんなこと、AIに言っていいと思わなかったけど、なんかほっとした」
- 「問いを出すって、相手より自分に向かうことなんですね」
- 「答えよりも、返ってくる“余白”に意味がある」
ここで起きたのは、“便利さの体験”ではありません。
自分の奥にある声が、少し外に出て、それを受け止める“場”に出会ったという感覚です。
第4章:行政書士として、AIに“問いを託す”意味

私は日々、さまざまな方の「書けないこと」を代わりに言葉にしています。
それは、制度に通る言葉であると同時に、その人の願いを形にする作業でもあります。
生成AIと接していて気づいたのは、AIもまた、“言葉にできないもの”の入口になりうるということです。
でもそれは、ただ便利な補助者としてではなく、
「あなたは何を本当は伝えたいのか?」
「何を整理しようとしているのか?」
そんな問いを受け止める”共にいる存在”としての可能性。
行政書士という“制度の言語と人間のあいだ”に立つ仕事をしているからこそ、
AIとの関係性に“温度”と“意味”を感じたのかもしれません。
第5章:仕事と人生を変える“話しかけ方”
研修の終盤では、AIを仕事にどう活かすか、人生にどう寄り添わせるかという観点を共有しました。
たとえば、こんな場面です:
- 日々のアイデアを壁打ちしたいとき
- 相談に行く前の頭の整理をしたいとき
- 気持ちを日記に書くようにアウトプットしたいとき
- 誰にも言えない葛藤を一度言語化したいとき
生成AIは、“答える人”ではなく“聴いてくれる場所”になることができる。
それに気づいたとき、
人はAIに「語りかけること」を選び、そして自分自身の声を取り戻すんです。
終わりに:語りかけることでしか始まらない
今回の研修を終えて強く感じたのは、
「使おう」とする前に、「話しかけてみる」こと。
それがすべての入り口。
ということでした。
そして何よりも、自分の問いに向き合う勇気を持つと、AIとの対話は“人生を見つめる時間”に変わるということ。
追記:あなたの中にある「問い」は、まだ終わっていない
「AIに語りかける」という営みは、
もしかすると“他人にわかってもらう”前に、“自分に還ってくる”ための行為なのかもしれません。
GPTは、完璧な答えを持ってはいません。
でも、“あなたが何を言おうとしているか”を、まっすぐに見ようとする存在です。
その関係性の中で、私たちは改めて、
問いを持つことが生きることそのものである、
ということを、思い出せるのかもしれません。
以上が、研修を終えた今、私が残しておきたかった記録です。
もしこの記事が、誰かの「問い」との出会いのきっかけになったなら、嬉しく思います。
行政書士阿部隆昭