18年目の冬に、記憶をほどく|行政書士阿部隆昭
人生の過去ログを座標で読み直す――元日、上野公園までの9.82キロ
赤羽から上野ルートなので、思い出の地、浅草は通らない。
でも、谷中はルートに入る。
最初から決めていたわけじゃない。
ただ、気づいたらそうなっていた。
谷中は、歩く速度を落とさせる街だ。
観光地というほど騒がしくもなく、
住宅街というほど閉じてもいない。
考えごとをするには、ちょうどいい。
「考える時間」を、わざわざ取るということ
歩きながら思った。
最近は、考えるための時間を
意識して確保しないと、簡単に奪われる。
通知、予定、締切、返信。
どれも急ぎではないのに、
なぜか「今すぐ」の顔をしてくる。
だから元旦の今日は、
移動そのものを、考えるための時間にした。
何か答えを出すためじゃない。
整理するためでもない。
ただ、思考が自然に動くのを
邪魔しないための時間。

途中で浮かんだ、ひとつの違和感
歩きながら、
ずっと引っかかっていた言葉があった。
「ノンインターフェア」の思考の核である
「理解されなくていい」
「必要とされなくていい」
これを専門職が言うと、
一見すると、ずいぶん不誠実に聞こえる。
横柄に見えるかもしれないし、
逃げにも見えるかもしれない。
でも、今ははっきり違うと思っている。
本当に言いたいことは、そこじゃない
「理解されなくていい」というのは、
説明を放棄する、という意味じゃない。
「必要とされなくていい」というのも、
価値を出さない、という話じゃない。
むしろ逆だ。
必要な知見は、
ちゃんと目の前に「置く」。
選択肢も、リスクも、構造も、
全部、見える場所に並べる。
でも——
それを取るかどうかは、相手の自由。
そこから先には、介入しない。
これは、相手を突き放しているのか?
そう見えるかもしれない。
でも、僕はむしろ
最大限、相手を尊重していると思っている。
決める自由を、奪わない。
選ばない自由も、残す。
専門家がやりがちなのは、
「正解」を渡してしまうことだ。
でもそれは、
相手の人生に介入する行為でもある。
関知しない、という強さ
「それを選ぶかどうかは、関知しない」
この一文は、冷たく聞こえる。
けれど実際は、
自分の責任範囲を明確に引き受ける、
かなり誠実な態度だと思っている。
やるべきことはやる。
伝えるべきことは伝える。
その先でどう生きるかは、
相手の領域だ。
そこを侵さない。
谷中の道が、やけに静かだった理由
谷中を歩きながら、
この考えが自然に腑に落ちた。
たぶん、
この街自体が、同じ距離感で存在しているからだ。
押しつけない。
でも、消えもしない。
必要な人だけが、
必要な分だけ、関わる。
その在り方が、
今日の思考とよく似ていた。
専門職として、今の結論
理解されなくていい。
必要とされなくていい。
ただし、
必要なものは、すべて差し出す。
選ばれなくてもいい。
でも、隠さない。
それ以上のことはしない。
それが、
僕が今いちばん楽に、
そして誠実に立てる場所だ。
行政書士阿部隆昭


