”市販のエンディングノートに書き込んだだけでは物足りない”
と、おっしゃる方がいる一方で。
”市販のエンディングノートに書くべきところは書き込んだからもう完成”
と、それで満足されている方もいらっしゃいます。
自分自身のエンディングノートをどのように書き上げるかは、突き詰めてみれば本人の問題。
本人が満足できれば、どのようなカタチで完成したとしても良いのかもしれません。
しかし、エンディングノートは自分のためだけに書き残すものではないのは皆さんご存知のとおり。
自分が突然大病で倒れてしまったときでも、家族が慌てることがない。
自分の身に万が一の事が起きても、遺族が困ることなく再出発が出来る。
そんなエンディングノートが理想ですし、せっかくエンディングノートを作ろうと思ったのなら家族や遺族のためを考えたエンディングノートに書き上げるべきです。
そのために何をどのように書くべきか、といった技術的なことはまた別の機会に書くとしまして、心構えといったものは簡単に誰でも分かって頂けると思います。
自分が残された側だと思って書く
人間、その立場になってみないと分からないことが必ずあります。
当事者だけが知る真実、といったようなもの。
何も、そんな大げさな話でなくても、自分の親世代が
”メモ書きも何も残さずに亡くなってしまったら何が困るだろう”
と考えればいいだけなのです。
エンディングノートを書いていると、どうしても自分の分かりやすいところ、書きやすいところばかり書いてしまうことが良くあります。
例えば、自分史。
確かに書いていると、自分の昔の頃も思い出しますし、”今振り返ってみると◯◯だった”といった新たな発見があると自分史が面白くなってしまうんですね。
その気持も分かるのですが、エンディングノートの質をもっともっと上げるには、自分史だけが充実していてもダメ。
残された人たちが困ることがないように、慌てることがないように、順調に再出発ができるためには、何を書くべきか?
エンディングノートに必要とされているのは、実はこういったことなのです。
もしも、自分の親が突然他界してしまった、としましょう。
葬儀はどうしたらいい?
お墓とか準備してたのかしら?
保険とか入っていたみたい?
どこの銀行に口座あった?
なんだか、ずっと前にお友達にお金借りたって言ってたけど、返したのかしら?
電気ガス水道とかの支払いって?誰名義?
葬式に誰呼べばいいの?
と、途方に暮れている家族にとって、唯一の頼みの綱は、生前したためていたエンディングノート。
これである程度家族の不安は和らぐと思って、開いてみると、そこには。
びっしりと書かれた自分史以外に書かれたものがなかった。
いや、もちろん嬉しいのには変わりないわけですよ。
生前知ることがなかった父母の人となりがわかることは。
でも、今のいま、知りたいのはそういうことではないわけです。
これ、実は、私の経験したことです。
亡くなってから葬儀までの期間は想像以上に短いです。
その短い期間で矢継ぎ早に選択を迫られる家族にとってみると悲しんでいるヒマなどないのが現実。
せっかくエンディングノートを書くのであれば、残された家族に心から喜んでもらえるようなものにしたいですね。