一昨日のことですが、平成28年1月10日に亡くなられたジャーナリスト竹田圭吾さんのツイッターをずっと遡って観ていました。
Twitter(ツイッター)というは、ブログのように本格的に書くのではなく、140文字の制限の中でインターネット上に書き込むことができるもの。
私の母もガンで死んでいますので読んでいて涙が出てきます。
ツイッターは、短い文章で手軽に投稿できるので、その人の気持ちが表れやすい。
エンディングノートなどの終活講座を開催すると、参加者からこう質問されることがあります。
ツイッターなどのSNSのアカウントはどうなるの?
自分が死んでしまった後、Twitter(ツイッター)などのSNSがどうなるかを心配する方は多いのです。
質問を受けた私としては、エンディングノートにTwitter(ツイッター)のアカウントとパスワードを書き残し、遺族がいつでもインターネット上の情報を消すことができるように案内をするわけです。
ツイッターを運営している会社から、
その人は死んだからアカウントを消しますね
とは言ってきてくれません。
申請しない限りアカウントも、その人の残した書込みも、ずっとずっとインターネット上に残り続けます。
しかしです。
竹田圭吾さんのツイッターを読んでいて、こう思ったのです。
自分が死んだ後もTwitter(ツイッター)などのSNSアカウントは消さなくてもよいのではないか?
なぜなら。
多くのエンディングノートには、自分史を書く欄があります。
自分史には、ありのままが書かれていると多くの人は思いますが、実は違うのです。
後日、家族などの他人が読むことを前提としているエンディングノートでは、自分をカッコつけて書いてしまう。
ツイッターなどに書き残した「つぶやき」にはその人の感情がストレートに表れやすい。
その人の身の回りに起きた出来事にどのように対応したのか?
嬉しかったこと。
光あればよかったのに、と思うこと。
楽しかったこと、悲しかったこと。
大上段に構えたエンディングノートの「自分史」よりも、ツイッターの「つぶやき」を集めたもののほうがその人を知ることができる。
そうなんです。
ありのままの自分は、その人のSNSでの発言に現れている。
であるならば、SNSのアカウントは消す方向ではなく、残す方向でもよいのではないか?と考えました。
もちろん、本人が、
消して欲しい
という意向であれば家族に消してもらうようにエンディングノートに残せばよいでしょう。
ですが、誰もが皆、そのように行動する必要はないのです。
買ったエンディングノートの本にですね、
SNSアカウントは消しましょう
と書いてあっても消さない選択肢もあっていい。
そう、竹田圭吾さんのツイッターを観ていて思いました。
自分という存在をインターネット上に未来永劫残しておきたい
という気持ちを持っている方も中にはいるでしょう。
自分の死後もSNSアカウントは消す必要がないのではないか?
といった視点でエンディングノートを作ることも必要です。