先日、ある会合に出席した。
テーマも場所もここで書くことが出来ないのですが、思ったことがあったので書いてみる。
ガマンは良くない。誰に?自分にですよ。
メンタル疾患についての話題になりまして。
その会合で、ですね。
自分が言いたいこと、望んでいること、こうなったらいいなと思っていること、食べたいもの、やりたいこと、いろいろありますよね、それぞれ。
でもね、
”これ言ったら相手からどう思われるんだろう”
、とか。
”こうしたいって言ったら、あの人は嫌な思いをするんじゃないかな”
、とか。
そういった感情を自分の中に持ち続けるうちに、自分のことを一切に外に出すことが出来なくなってしまった方がいらっしゃる。
一見、他人や環境への適応能力は長けていると思えるほどなんだそうです。
本人としたら、相手からの期待に応えようと全力で頑張っているんだから、傍から見ればそうなのでしょう。
でも、本人はそのように振る舞ったことをその日の晩に激しく後悔する日々だったのだといいます。
何を後悔しているのかというと。
他人に受け入れられようとしていた自分に、です。
でも、これって、私たちが無意識のうちにしている行動でもあると思うのです。
ありませんか?
他人に合わせようとすること?
大なり小なりありますよね。
そのレベル感を超えてしまうとですね、自分のメンタル的に良くない。
自分が壊れてしまうほどにカマンをするのはよくない。
あれほど頑張ってがんばって他人に気に入られたかった健全だったころの自分は、既にそこにはありません。
ガマンは他人にも良くない。
63歳で死んでしまった母親のことをその会合のときに思い出しました。
ステージⅣから5年も生きたので、ずいぶんと頑張ったなあと思います。
お母さん、もうちょっと、やりたいことやっておけば良かったよ
って言うわけですわ。
病名宣告からまだ元気だったころに、何度かね。
まあ、今となってはもうちょっと言い方もあるのだろうと思うけれど、死んでしまったしね。
当時のぼくとしては、こう返すしかなかったわけです。
やりたいことやれば良かったじゃん。
シンプルといえばシンプルですが、こう書いてみるとなんだか答えとしては良くない。
皆、それなりの事情があって、
家庭とか仕事とか、実家のこととか、無理して家を建ててしまったり、
様々な状況、事情、環境、カネ、人間、
”生きているといろいろあるよね”
の一言で纏められる全てのことが絡みあっていたのでしょう。
でも、それでも、やっぱりこういいたい。
やれば良かったじゃん。
今更言われても、身体動けないんだからどうにも出来ないじゃん。
俺に言われても、そればっかりは代わっては出来ないよ。
自分がやりたいこと、なんですよね。
やれるのって、誰?
俺?
出来ないよ。
やりたいって思っている本人以外はそれは出来ないのだよ。
もちろん、もちろん、ぼくら家族のせいにしていたわけではないんだと思うけれど、やりたいことが出来なかったことの原因が。
でも、万が一、そうだとしたら、それはもうね。
もう俺らを放ったらかしにしてやりたいことやってくれて良かったのに。。
それで、どうのこうの言わんよ。
今さら、そんなん言われても困るよ、やれば良かったじゃんよ。
やってくれて良かったのに。
ガマンするのって、自分だけじゃない、他人も困らせるよ。
たまたまこれは親子の関係ですが、パートナーでも、友人でも同じようなもんだと思います、おそらく。
・涙のまとめ
自分がやりたいことを犠牲にして、ぼくらを育ててくれた。
なんてことは分かりきっていて形がないほどに噛み締めていることなのでどうでもいいんです。
やりたいことがある人、はね。
ちゃんと元気なうちに、身体も頭も動くうちにやってくださいね
ガマンすることは自分にも良くないし、他人をも困らせることになるから。
生きてれば昨日が誕生日。
だいたい63歳で死ぬとか早過ぎるんだよね。
うちはガン家系だからって言って、野菜ばっかり食べて、キノコもすごい食べてて。
「がん予防になるからキノコ食べろたべろ」って子供の頃からうるさくって
キノコなんて全然効果ないじゃん。
キノコのばか!
だからキノコ、嫌い。
平成28年4月18日
阿部隆昭