ひとつの幸せのドアが閉じるとき、 もうひとつのドアが開く。 しかし、よく私たちは 閉じたドアばかりに目を奪われ、 開いたドアに気付かない。 ヘレン・ケラー
— 有名人の名言・格言 (@MeiKakuGen__bot) 2015, 2月 17
例えば、このような名言があったとして。
内容そのものが私たちの心を捉えるのか?、ヘレン・ケラーが言ったからこそ輝くのか?
皆さんはどちらですか?
私は前者です。
二度と開くことがないって分かっているのに閉じてしまったドアに心奪われることってないですか?
なんで閉じてしまったんだろう?
閉じる前に、こうしておけば良かったのに。
新しく開いているかもしれないドアに気づかずに。
正直もう、「誰が言った」とか、「どの立場の人が言った」とか、そういったものはどっちでもいいです。
そもそも、その人の言葉にアンテナが立ったということは、置かれた状況からして自分が欲していたこと。
そうそう、あんたもそう思う
ちょっとうまくいかないけど、方法は間違ってないのね
共感や同意を得たり、そういったことですよね。
その人がダメダメ人間(そんな人がいたらですか)だろうが、偉人だろうが関係ないです、私は。
「誰が言ったか」派は、より強固な安心が欲しいだけ。
名言に惹かれ、「んで、これ誰が言ったの」と思った。
結果、それを言ったのは歴史のテキストにも載っているような偉人だったり、現世を賑わせているプレーヤーだったり。
あー、やっぱりそうね。
あの人が言うんだから、絶対そう。
間違いない。
オレ正しい!
このココロの動きは安心感を求めている?、でいいですよね、きっと。
トップのツイートの画像のところに「1人がお気に入りに登録」ってありますでしょ?
登録したのは私です。
「ヘレン・ケラー」だからより納得感を持って登録ボタンを押したのでは、ないです。
「ユリ・ゲラー」でも押したでしょうし、「ラー」でも、誰でも押した。