『人生、何がどうなるか分からない、だから面白いんだよ』と聞くことってありませんか?
人生を満喫している人にとっては当たり前のことでも、そうじゃない人にとってはちょっと実感が湧かないかもしれない。
仲間の先生と話しているときにそんな話になりました。
そうそう、楽しいと思えたり、冷静にモノゴトを判断するためにはココロの余裕が必要なんだと。
余裕がない状態、切羽詰まった状態に自分があると、普通じゃ考えられない話にも簡単に乗ってしまったりしてしまう。
ココロに余裕があれば、そんな話にも乗ることがなかっただろうし、乗ってしまったとしても「まあ、いろいろあるわな」といって納得することも出来る。
ところで。
ココロの余裕ってどこから生まれるんだろう。
そもそも、ココロの正体は?
成年後見の勉強をしている頃から、実体のない「ココロ」っていう言葉があまり好きではありません。
観念的な言葉だし、自由に使えるのでとっても便利なんですけど、フワフワしていてる感じ。
ココロの余裕を持つには、生活を支えるモノが充実していることが必要なのだと思う。
生活っていうのはその人の人生そのものですよね。
で、◯◯があれば自分の生活は満足っていうのは、人によって違うと思うんですよ。
その中でも、「人」と「カネ」は、誰だって最低限必要です。
社会に生きている以上、人との繋がりがないと生きていけませんし
物々交換の社会ではない以上、カネがないと交換することができない。
その二つの中で優先順位を付けるのなら、圧倒的に「人」になるんでしょうね。
信頼できるたくさんの仲間に囲まれて生活している人に不幸な人はたぶんいない。
ココロの余裕なんてありまくりでしょう、たぶん。