昨日で無事サラリーマン生活期間を満了し、本日無事、副業行政書士からフリーランスへとなりました。
どんよりしたお天気ですが、今日も元気におはようございます!
立場上、書きづらいことも多かったのですが、これまでに体験したことを支障のない範囲で、かつ、
これから行政書士を目指そうと思っている方、
フリーランスになりたい方、
地域のために尽力したいと考えている方、
などに向けて、本当にためになる情報もシェアしていきたいと思っています。
もちろん、これまでどおり、相続や遺言に関すること、終活・介護など高齢者支援についても積極的に情報発信します。
さて、ブログのタイトルに戻るとですね。
サラリーマンがフリーランスになるときほど、身の回りの環境が劇的に変わるときはないかもしれません。
社会保険、厚生年金は無くなるし、明日の収入の保障もありません。
まさに、フリー
もちろん、国の保障として、国民健康保険、国民年金はありますが、収入面は自分で確保しないといけないわけです。
サラリーマンって、そもそも、どうして会社からお金がもらえるのでしょうか?
サラリーマンであれば、決められた時間、会社に拘束されることそのものが価値とされ、そこで対価を得ます。
もちろん、就業時間内、会社とサラリーマンには期待値の関係があります。
会社 : 「時間内は、仕事してくれるだろう」
サラリーマン : 「時間内は、仕事しないとね」
ブラック企業や超能力主義もろもろ、例外はありますが、この関係は事実です。
就業時間内、仕事をするフリをしていても、給与は支払われます。
1ミリの価値も生み出していないのに、なぜ給与が支払われ、その晩居酒屋でビールが呑めるのか?
その日、決めたれた時間その会社に居た、その時間そのものが対価の源泉になっているからです。
”今日も、一日がんばったなあ”
というときの、”がんばったなあ”が、就業時間をガマンした意味で使われていること、ないですか?
ありますよね?
いや、私もそういうときがあったから言っているわけです。
フリーランスの場合には、そこがまったく異なります。
時間とは無関係。
サラリーマンが「時間」だとしたら、フリーランスの価値の源泉は「能力」です。
その能力によって、どれだけの価値を相手に与えたかによって、対価が決まる。
価値を与えることが出来なかったから、対価はゼロです。
もらえません。
でも、これって何も不当なのことではないです。
当然すぎること。
お腹が空いた人に超絶美味しいラーメンを提供できる人は、ラーメン店をやることになるでしょう。
道に迷っている人に灯りをともすことが出来る人は、コーチやコンサルタントになる。
困っている人を知識で解決出来る人は、専門職に。
社会に対して、何らかの価値を提供できる人は、フリーランスになったほうがいいと思いますよ。
私たちは、たった一度、もう二度とこの時間この場所に登場することがないんだから、時間と引き換えに対価を得るのではなく、能力を価値として評価してもらい対価を得たほうがいいです。
それが社会のためにもなります。
だって、
ある人は、美味しいラーメンを食べたことによって心は満たされ、
ある人は、将来の展望が明るいことを知った期待感に心躍り、
ある人は、抱えていた不安から開放されたことによる安心感に包まれている。
この三人がたまたまスタバで同じテーブルになったら楽しい話が出来そうですよ、きっと。
だって、皆、幸せそう。
三人だけの小さなコミュニティですが、社会ってそもそも小さいコミュニティの集まり。
それを積み上げていくことで幸福の輪が大きくなる。
さて、
残された人生、自分に何が出来るか?
考えるツールがあります。
「人生時間」って聞いたこと、ありますか?
年齢を3で割って、出てきた数を一日の時間にすること。
一人の人生を24時間に例えて、今の自分は何時になるのか?人生の始まりなのか?終盤なのか?を表すもの。
30歳だったら3で割ると、10。
午前10時ならまだまだ一日が始まったようなものですね。
私は、1967年生まれの47歳なので、47÷3=15.666
15時!
ということは、一日で考えると午後3時
もう3時です、もうちょっとしたら夕焼けチャイムがなって家に帰って、夕飯を食べて、夜を迎え、深夜になり。。。。。
コワイコワイ、残された時間が、あるようで、ない。
あなたは今、何時ですか?