前衆議院議員で現在は世田谷区長をされておられる保坂展人さんのエントリーです。
http://www.asahi.com/and_w/life/TKY201309240094.html
「良いことだ」なんて主張される方はいないと思いますが、虐待は悪いという結論があったとして、それを法律的な面で後押しする「児童虐待防止法」。
大切です。
何をするにも法律的な根拠が最後の砦だったりする。
でもでも、最優先の課題は、現実をどうするか。
変えていく必要があるのならどう変えるか。
それを待っている人がいるのなら、どうその期待に応えるべきなのか。
児童養護施設を退所する18歳の高校卒業時に就職・大学進学時の支度費として手渡される金額は7万7千円
両親からの援助を見込むことのできない若者には特別基準額13万7510円が加算された21万4510円
現在はそれぞれの支給額が引き上げられ、最大で268510円。
児童虐待防止法成立に尽力された保坂展人区長が、その成立後に訪れた児童養護施設で目の当たりにされた現実は。
100人を超える子どもたちの暮らす施設は老朽化していて、小学生は畳敷きの大部屋に枕を並べていた。
山間部なのに、窓には虫を遮る網戸もない。
机の数を数えてみると、子どもたちの数よりも少ない。職員によれば、「3人でひとつの机を使っています」とのことだった。高校生の暮らす部屋は真新しかったが3畳と狭く「定員は2人です」という。
思わず「えっ」と声が出た。3畳に2人が布団をふたつ敷いて寝起きしていた。部屋の中央には、最近見なくなった円形の卓袱(ちゃぶ)台が置いてあった。勉強するには自室ではなく「学習室」を使っているという。ふと、気になって、大学に進学する子どもはいるのかと聞いてみた。すると職員は、「ここでは『大学進学』の話題には触れないようにしています」
という。この施設では戦後、一人も大学に進学した子どもはいなかった。
「施設を出る時に、入寮して働ける職場を探すのに一苦労です。せめて運転免許を持たせてあげたいのですが……」(職員)私は、児童虐待から子どもたちを救出することに目を奪われて、児童養護施設を出た子どもたちにどんな進路の選択可能性があるのかを考えてこなかったことに強いショックを受けました。
親が養育できない時に「大丈夫、社会が君を育てるから」と引き受けるのが、社会的養護の仕組みだったはずなのに、施設によっては大学進学という選択肢ははじめからない、というのです。
ヒトが二人以上いればそこには「社会」が存在してしまいますが、その出来上がった社会に意義を見い出そうとするならば。
どうあったって、扶け合うこと以外にない。
僕はたまたまラッキーが重なって、比較的豊かといわれる日本に生まれて、机が一人一つあてがわれる学校にも通い、大学にも進学することができた。
「『大丈夫、社会が君を育てるから』と引き受け」る社会を作る、という主張はたぶん正しい。
観念で終わらせることなく、現実のものとする行動も。
区内には、福音寮と東京育成園というふたつの児童養護施設があり、大学や専門学校への進学者は少なくありません。施設も立派で、進路情報や奨学金なども整っています。
どう生かすかはそれぞれとして、情報はないよりあったほうがいいし、奨学金もないよりあったほうがいい。
選択肢が拡がるというただ一点において。