約束が破られた日の、最高の寿司
── “不在”が連れてくるギフトについて
ある夏の日。
旧知の出版社社長との打ち合わせのために、僕は約束の時間に彼のオフィスへと向かった。ところが、着いてみるとオフィスは真っ暗。電話も繋がらず、社長からの連絡も一切なし。数分待ってみたけれど、何も変わらず、静かなまま。
昔の僕なら、ここで「なんでだよ」と揺れまくっていたと思う。自分の時間を軽んじられたような気持ち、ぞんざいに扱われたと感じるショック。だけど今回は違った。揺れは確かにあったけど、それは波のように表面をさらっていき、深く沈む前に消えた。
「この関係は、ここまでだな」
静かに、でもはっきりとそう思って、僕はオフィスを後にした。
その足で次のアポ先へ。
場所は錦糸町。実はそこ、パートナーが以前から「あのお寿司屋さんに行きたい」と言っていた場所だった。
出版の打ち合わせが流れたことで、まさかの“空き時間”ができた僕は、彼女とちょうど合流できるタイミングに。
そしてそのまま、二人で人気寿司店のランチに滑り込み。
ずっと行きたいと言っていた店で、待ち時間もなく、ゆっくりと美味しい寿司を味わうことができた。

ここに“偶然”はなかった。
出版社社長との打ち合わせがドタキャンされた時点では、ただ「残念」だったはずの出来事が、寿司屋の暖簾をくぐった瞬間、「ああ、これだったのか」と物語の結末に変わる。
この日が象徴していたのは、“音のない終了”の先に広がる、まったく別の地図。
失ったと思ったその時、実は世界は別のチケットを手渡してくれていた。
これは、存在OSの作動記録だ。
昔の僕なら、未練や怒りに引きずられながら、帰りの電車で気持ちを処理していたかもしれない。
でも今は、揺れを感知して、沈み込まず、ただ「選択」する。
“存在から立つ”とは、こういう日常の中で静かに作動するんだと、また一つ、理解が深まった。
モジュール名:無音スルー事件
- 揺れたけど、引きずらなかった
- 対応しなかったけど、責めもしなかった
- 終わった関係のその後に、すでに次の贈り物が置かれていた
人生はドラマじゃない。
でも、存在から立っていると、物語のように展開してしまう不思議がある。
この日はそんな、“静かなギフト”の一日だった。