こんばんは。
台風のまっただ中、事情があって訪れた図書館でたまたま見かけた『吉本隆明の下町の愉しみ」』
共同幻想論を初めて読んだのは20年ぐらい前かな。
吉本隆明はかなり久しぶり。
エッセイというか雑文というか、こんな感じの記事を吉本隆明が書いていたなんて知りませんでした。
東京都台東区上野の「上野のれん会」の雑誌『うえの』の寄稿していた文章が主らしく、「杖をたよりに海岸の砂地と水際の境目をぶらぶら散歩し」や「脚が思うように動いてくれないことが」という文章をからすると晩年に書いたものなのでしょう。
のんびりとした文章。
散策の途中の公園のベンチでさらっと書いたような感じがいい。
新書サイズなのに、文字のフォントは大きいのでボリュームは少ないし、あっという間に読めてしまう。
日常生活という概念は、非日常生活という概念とのあいだの区別や境界をなくしてゆくのとおなじに、日常の食事生活と非日常の食事生活とが区別と境界をなくしてゆく。
とか、
ようするに、「時間」という了解作用の認知の差異が、世界をそれぞれの地域に分割している根元だということにはじめて気がついた。
こんな表現をみると、なんだかニンマリとしてしまう。