遺言とは何たるか、については様々な見方があると思います。
それらの中で、遺言の制度趣旨を端的に表したものとして好きなのが、内田貴先生の名著『民法Ⅳ』に書かれている次の言葉です。
相続の法定原則は、被相続人の意思によって修正することができる。
被相続人が死後に残す言葉、すなわち遺言に厳格な「方式」を定め、「遺言をなしうる事項」について方式に従った遺言がなされる限り、その内容の実現を法的に保障するとした、これが遺言制度である。
内容の実現を法的に保障するとは何を意味するのでしょうか?
これは、「法の後ろ盾」があると考えると分かりやすいと思います。
考えてみれば、遺言書は特殊な文書です。
遺言書が成立するのはいつでしょうか?
それは、遺言書を書いたときです。
遺言書が効力を持つのはいつでしょうか?
遺言者が死亡したとき、というのが原則です。
つまり、遺言書が効力を持ってくる時には、すでに遺言者はこの世に存在しません。
あなたが遺言を残したと考えみてください。
自宅の土地建物の所有権をお子さんに相続させたり、甥っ子に贈与したり、そういった大切な内容の遺言を残したとしましょう。
大切な事なので、そのとおりに履行されたのかどうか気になりますよね。
でも、遺言を残した人は、既にこの世にいないので本人としては確認する術がないのです。
とっても、不安だと思いますよ。この状況は。
その「不安」を解消するためには、どうしたらよいのでしょうか?
遺言者である本人が死んでしまった時にでも、その内容を確実に履行してくれるシステムが必要です。
しかも、誰もが納得し、従わざるを得ない強制力を持ったシステム。
そこで用意されたのが「法」なのです。
国の制度として法律のシバリがかかっていますので、遺言者は安心してその内容の実現を任せる事ができるのです。
誰に任せるかというと、「法」といえますし、「国家」であるといっても構いません。
黄泉の世界に旅だったとしても、法律がなんとかしてくれる。
そう思えば、安心ではありませんか?
誰かはわからないけど遺言書を発見してくれた人が何とかしてくれるだろう、などというフワフワした実体のないものなんかではありません。
法律が後ろ盾になってくれるのです。
これだったら、大切なこと、遺言書として残すべきもの、はしっかりと遺言書として残したいと思いませんか?
遺言書があるかないかによって、相続が争続になってしまうことは少ないくありません。
国家としては国民のトラブルが減ることのほうが望ましいはず。
裁判にまで発展するケースも少なくなりますし、無駄な訴訟を減らすという意味では国民全体が利益を受けることと言っても言い過ぎではないでしょう。
国家としては、適式な遺言書を作ってほしいことを国民に期待しているわけです。
「法律」という、これ以上ないほどの強大な後ろ盾を用意する以上は、遺言書が法律の定める方式にしたがって書かれていることが必要。
遺言書と書かれている文書であれば、何でもかんでも法律が保障してくれるわけではないのです。
どのようにして書けば法律が保障してくれる「遺言書」になるのか?。
民法の条文や過去になされた裁判例などを踏まえながら書く以外に方法はありません。
遺言書は簡単なようでいてとても難しい面のある法律文書なのです。
もしも、自分一人だけで遺言書を書いてみようと思った場合、
それが法律の後ろ盾をもらえる「遺言書」として成り立っているのか?
それとも遺言書というタイトルの「単なるお手紙」になっているのか?
について専門家のアドバイスを受けることをお薦めします。