美輪明宏さんは大好きですが、所謂世間で言う「オーラ」といわれるものは眉唾ものとして見ています。
オーラ占いとかオーラ診断とか、オーラの色を見るとか、何じゃそれっていう感じです。オーラ関係者の方すいません。
ですが、「気迫」という意味でのオーラは唯一信じています。
それってあるなと。
初めて人の気迫、オーラを感じたのは小学校四年生のときに飛び入り参加した児童館の将棋大会。
父親の影響で将棋の定石をいくつか知っていた私はトントン拍子で決勝戦へ。
”事前エントリーもしていないのにこの子誰?!”的な職員たちの雰囲気は、ちびっ子ながらにも感じとることが出来ました。
決勝戦の相手は小学六年生
オーラが違いましたね。確かに。
私に尻尾があったなら、丸めて股の間に挟んだ状態で最初の手を打っていたでしょう、きっと。
定石を知らない相手にはあっという間に勝てる棒銀戦法も、あっという間に見守る職員が苦笑するほどの気持ちいいほどのやられっぷりでした。
実力差、と言ってしまえばそうなのですが、やはり敗因はなにかと言うと気迫で負けていたというよりほかありません。
世に言う、闘う前から負けている状態です。
将棋を例に挙げましたが、どのスポーツであれビジネスの現場であれ、第三者と対峙する場合には多かれ少なかれ「気迫」という要素は必ずといってよいほど必要になります。
もちろんそれは、勝ち負けといった分かりやすいものでなくとも、例えば本人の意図したようにモノゴトを運ぶためには当然ながら「気迫」は必要です。この場合は、気構えと呼んだほうが分かりやすいでしょうか?
もう一つ、気迫や気構えといったものは自分で意識しない限り身につくことがありません。
慣れや経験で自然と気迫が身についてきたということがない以上、必ず、いつかどこかの段階で自分で意識して「気迫」を身に付ける必要があるのです。
例えば、今日の私ですが、午後からの案件は気迫十分で臨みました。勝ち負けではありませんが、この案件がうまく進むことにより、ある一人の高齢者の老後の行末が決まってきます。これは絶対にうまく進ませるという気迫は相手に伝わったと思います。そして、良い結果を生むことも確信出来ました。
「気迫」という意味でのオーラは常に全開というわけではありませんが、必要なときに必要な量のオーラは出せるように精進したいものです。
行政書士阿部総合事務所 行政書士阿部隆昭