秋川雅史さんの「千の風になって」がヒットしたのが、2007年。
紅白歌合戦にも出場しましたし、なんとなく聴いたことがあるっていう方も多いでしょう。
私の墓の前で泣かなくてもいいよ、自分はそこにはいないから。
風になって吹き渡っているし、秋には光、冬には雪、朝は鳥、夜は星となって、あなたの周りにいるから大丈夫。
泣かなくってもいい。
そういった内容の歌です。
私の家族のときにもこの歌がよく流れていました。
「千の風になって」が私たちのココロのある部分を慰めてくれるのは、光や雪、風、鳥、星などといったカタチに変わってはいるけれど身近にいるよ、っていうところでしょう。
死という必然によってヒトという物体が忽然と消えてしまうことによるダメージは、とっても深い。
こういった歌を流し続けて、大丈夫って言い続けて、やっとなんとかなる。
昔だったら。今でもそうかもしれませんが、「仏壇」がその役割を担っていたんだと思います。
仏壇があって、そこに位牌があって、朝起きたらチーン、仕事から帰ったらチーンとやっていれば、そのヒトが生活の一部になっているのであえて「風になって」自分の周りにある、なんて思うこともないでしょう。
骨はお墓の下にあるのは間違いありませんが、魂といったものがもしもあるならお墓というよりは仏壇周りに漂っているに違いありません。
仏壇も小型化、簡素化の流れ 新しい形「手元供養」広がる
こんなニュースがありました。
仏壇の小型化、簡素化の流れは統計上からも明らかだ。経済産業省の商業統計によると、宗教用具(仏壇、仏具、神具、線香など)の国内販売額は、統計がまとまっている平成19年には2628億円。単価下落や売れ行き減が重なり、6年の統計に比べて4分の3の規模になっている。
真っ黒で重厚感のある従来の仏壇はかなりの勢いで敬遠されているようです。
その仏壇に変わって登場してきたのが、仏壇らしくない仏壇。
「現代仏壇」という商品名らしいですが、確かに仏壇じゃないみたいです。
形状
仏壇には扉が付いている。寺院の山門を見立てたものと言われる。また寺院の本堂において内陣との境には巻障子がある。そのため、仏壇の扉の内側も障子が付く。仏壇内部は基本的に三段になっており、中の一番高い中央の檀を「須弥壇(しゅみだん)」と呼ぶ。須弥山を象ったものとされる。須弥壇の上は「宮殿(くうでん)」と呼ばれ、本尊をまつる。各宗派の本山寺院の内陣を模して造られるため、宗派によりつくりが異なる。その左右には脇侍仏や祖師をまつる。須弥壇を含めた最上段には「高欄(こうらん)」が付く。その下の段に位牌を置く。位牌が複数ある場合は、向かって右・左・右と交互に並べる。戦後、仏壇の左右両側面の上部に穴が開けられるようになった。これは灯籠(灯篭)の配線用のコードを通すためのものである。