はじめに
2026年5月20日、中小企業政策審議会(第45回)で公表された資料に、新たな企業支援の方向性が明記されました。
ネット上では「新しい補助金が出た」という切り口で紹介されています。しかしこの情報の本質は、補助金の新設ではありません。
国が「労働供給制約社会」という社会像を公式に定義し、その前提のもとで中小企業支援の構造を根本から組み替えようとしている、という点にあります。
この記事では、制度の表面だけでなく、国がどういう社会像を描いた上でこの制度を設計したのかを解説します。

労働供給制約社会とは何か
中小企業庁は今回の戦略のタイトルを「労働供給制約社会における中堅・中小企業の『稼ぐ力』強化戦略」としています。
「労働供給制約社会」とは、人口減少によって働く人の数が構造的に減り続ける社会のことです。景気の悪化や求人条件の問題ではなく、人口動態として不可逆的に進む現象です。
中小企業庁はこの社会を前提として、次のように定義しています。
「稼ぐ力」=一人当たりの付加価値額(付加価値労働生産性)を高めること
具体的には2つの柱があります。
- 付加価値額の増加:適正な対価(価格転嫁)の確保、新製品・サービスの開発、ビジネスモデルの改革
- 労働投入量の最適化:自動化・省力化、業務プロセスの改善、人材力の強化
そして審議会資料はこう明記しています。
「現状維持ではなく、事業再構築・生産性向上・事業再編等に取り組む中堅・中小企業を徹底的に支援し、『稼ぐ力』の強化と賃上げの好循環を目指す」
人を増やして売上を伸ばす時代は終わりました。一人当たりの付加価値をどれだけ高められるか。それが企業の生存条件になる、というのが国の公式見解です。
数値目標として、中小企業の付加価値労働生産性を5年で15%向上させ、2040年の名目GDP1000兆円への貢献を目指すとしています。
国が構想する3層の宣言制度
この社会像を前提に、国は企業規模別に3層の宣言制度を設計しています。
| 対象規模 | 制度名 | 状態 |
|---|---|---|
| 売上1億円未満 | 成長志向の経営計画(仮称) | 今年度詳細検討開始 |
| 売上1〜10億円未満(約60万者) | 10億宣言(新設) | 今年度詳細検討開始 |
| 売上10〜100億円(約9.1万者) | 100億宣言 | 昨年度から運用中 |
国はこの3層について、小規模事業者が1億円を目指し、1億円企業が10億円を目指し、10億円企業が100億円を目指す、自立的な成長のエコシステムとして構想しています。
10億宣言とは何か
対象
売上高1億円以上10億円未満の中小企業、約60万者が対象です。
100億宣言の対象である約9.1万者と比べると、対象規模が格段に大きくなります。
宣言する内容
企業は以下5項目を宣言し、公表します。
- 経営者のビジョン
- 事業価値の磨き上げ
- 成長アセットの構築
- 地域経済への貢献
- 金融機関の伴走支援方針
単なる努力目標ではなく、金融機関のコミットメントを前提とした公的な宣言という性格を持ちます。
受けられる支援
宣言した企業には3種の支援が集中投下されます。
投資支援 ものづくり補助金等の既存制度と連動し、宣言実現のための設備投資や販路拡大を後押しします。
金融支援 日本政策金融公庫等によるリスクマネー供給という新たな政策金融が検討されています。民間金融機関の通常の融資枠を超える大規模な成長投資(M&Aや人材投資等)が必要な局面での補完・誘導が想定されています。
ソフト支援 人材確保支援、経営管理能力の高度化、ハンズオン支援が充実されます。
メインバンクの伴走が必須
10億宣言の大きな特徴は、企業だけでなくメインバンクにも本気の伴走支援の表明を求める点です。
地銀・信金・信組等が、厳しい時期も含めて二人三脚で成長を支えることを前提とした制度設計になっています。
10億企業が抱える6つの課題
中小企業庁は、この規模の企業が成長投資に踏み切れない理由を6つ整理しています。
- 経営面:経営経験が乏しい・家族経営のまま仕組みがない
- 販路面:価格交渉力が弱い・ブランド化・差別化されていない
- 人材面:番頭・右腕がいない・防衛的賃上げで人材確保がやっと
- 組織面:社長が全て切り盛り・機能分担の仕組みがない
- ITシステム面:IT・DX・AIの必要性は分かっていても実装できない
- 資金面:資金調達力が弱い・返済に追われ設備更新がやっと
これらは多くの中小企業経営者が「うちのことだ」と感じる課題のはずです。国はこの課題群を直視した上で、伴走型の支援設計をしています。
補助金採択に直結する変更点
今回の戦略と連動して、補助金の審査基準にも重要な変更が入ります。
賃上げ要件の厳格化
これまでの「給与支給総額」による評価から、「一人当たり賃金」による評価に変更されます。
さらに、中央目安額を超える賃上げには加点が行われます。
全体の給与総額を増やすだけでは評価されなくなります。一人ひとりの賃金をどれだけ引き上げたか、が問われます。補助金申請を検討している経営者にとって、実務上の影響が大きい変更点です。
今から準備すべきこと
制度の詳細は今後の補正予算の成立を待つ段階ですが、今から動ける準備があります。
1. メインバンクとの対話を始める 10億宣言はメインバンクのコミットメントが前提です。自社の成長ビジョンを金融機関と共有する関係を今から構築しておくことが重要です。
2. ビジョンを言語化する 宣言制度である以上、「売上10億円を目指す理由」「どんな価値を地域に提供するのか」を言語化できていることが前提になります。
3. 賃上げ計画を見直す 給与支給総額ではなく一人当たり賃金で評価される時代に合わせて、賃上げの設計を見直す必要があります。
まとめ
10億宣言は「新しい補助金」ではありません。
国が「労働供給制約社会」という不可逆的な社会変化を前提に、中小企業支援の構造を根本から組み替えようとしている、その中核にある制度です。
人を増やして売上を伸ばす時代は終わりました。一人当たりの付加価値をどれだけ高められるか。この問いに正面から向き合う経営者を、国は本気で支援しようとしています。
制度の詳細が固まる前に、自社のビジョンを整理し、メインバンクと対話を始めておくことが、採択率を高める最大の準備です。
一次ソース: 中小企業政策審議会 第45回(令和8年5月20日)配布資料 https://www.chusho.meti.go.jp/koukai/shingikai/soukai/045/045.html
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